薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『「空気」の研究』を読む 27(最終回)

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も『「空気」の研究』を読んで学んだことをメモにしていく。

 なお、今回が最終回である。

 

 

30 感想

 今回、改めてこの本を読んで思った感想は次の3点である。

 

 1つ目は「もっと前に知っておけばよかった」である。

 これまでのメモで同趣旨のことを何度も書いているが、本当にそう考える。

 

 この点、この本を購入したのはかなり昔である。

 私の持っている本は文庫本の第16版、この版が出たのは2006年である。

 買った時期は覚えてないが、10年以上前であることは明らかである。

 そして、過去にこの本を一通り読んでいることも明らかである。

 このことから、「真面目に何かの教訓等を得ようと考えれば、何時でも知ることができた」わけである。

 

 ならば、昔の私は「『知ろう』と考えていなかった」ことになる。

 また、「知っても『意味がない』と評価していた」ことにもなる。

 そこで、この背景について自戒の意味を込めて振り返ってみたい。

 

 この本に書かれた「空気」が日本や日本人を強く拘束していることは今も昔も認識していた、と言える。

 この点は今も昔も変わりがない。

 とすれば、この本を読んで「空気」について把握することで、自分を拘束しているものを把握し、または、脱却を試みることができる(できるかどうかは別として)ことには気付けただろう。

 しかし、過去の私はそのように思わなかった。

 何故だろうか?

 

 今から推察するに、理由をあげれば次のとおりだろうか。

 

1、この本を読んでも「空気」について把握できると思わなかった

2、今回ほど真面目に読んでいなかった

3、「空気」について把握したところで、脱却する気はないと確信していた

 

 まず、違うのは1である。

 現在読み直すことで色々と把握しているし、成人後の過去の私と現在の私で頭の出来に大きな差があるとは考えられないから(むしろ、今の方が劣っているとさえ考えられる)。

 また、三者から見ても、この『「空気」の研究』は名著なのだから。

 

 2つ目はどうだろうか。

 この点、読書に対するスタンスが今回と過去で違う、というのはある。

 よって、この回答がもっとも妥当ではないかと考えられる。

 ただ、「真面目に読まなかった」には「読む余裕がなかった」と「読む予定がなかった」の両方の意味があり、両方とも当たっている気がする。

 別に、今年に入って80冊以上の本を読んだが、全部の本を真面目に読んでいるかと言われれば怪しい。

 例えば、今年に呼んだ戦国武将の小説など読書メモを作るような本と比べれば全然真面目に読んでない。

 過去のこの本に対するスタンスは現在の戦国武将の小説に対するスタンスと同じだったと言われれば、「まあ、そうかな」と言う気がする。

 

 そして、3つ目。

 2つ目と連動するところもあるが、これもあるのかな、という気がする。

 やや抽象化すれば、「本を読み知識を吸収することはしても、それ以上のことをする予定がなかった」になる。

 別に、この本はプログラミングの教科書でもなければ、司法試験の教科書でもない。

 また、資格試験の教材でも実務に関する専門書でもない。

 ならば、「きょーよー」として知っておくという目的で充分だったということはある。

 この点は、読書メモを作った『日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条』や『痛快!憲法学』についても似たようなところがある。

 

 もちろん、総ての本を読むにあたって「なんらかのアウトプット」に向ける必要はない。

 ただ、実務に関連しない本であってもそのようなスタンスで臨むべき本もある、ということなのかもしれない。

 

 

 2つ目の感想は、「さて、これをどう活かそう」というものである。

 内面においてどう活用するかはある程度決まっている。

 キーワードは「相対化」と「現実(歴史)」と「背景」

 つまり、相対化して把握する、現実と歴史を参照する、行動の背景(ファンディ)を切り離さない

 もちろん、全部についてこれをやっていたらきりがないので、重要かつ必要なところだけ、ということになるが。

 

 あとは、対外的にどう生かすか、である。

「メモにする」というのは一つのアウトプットではあるが、それでは外面的な実践にならない。

 この点は今後の課題、ということになる。

 

 また、「改革」の共通性として「人は改革を望むとき、過去の理想郷だった時代に戻ろうとする」というものがあった。

 ならば、未来の「改革」なるものを想定するなら、日本の過去を学ぶのも一興なのかもしれない。

 

 

 そして、3つ目の感想は「今も昔も変わらんなあ」である。

 本書で書かれている通り、「反省」と称する行為によって過去を切り離したとしても、過去を切り離せず同じことを繰り返している。

「外国の思想(私の場合は『集団外の思想』になる)が日本の『水』によって腐食し、吸収されて名しか残らない過程」や「外来(私の場合、『集団外』になる)の『思想と技術』のうち技術だけを取り込もうとする姿勢」についてはここ数年の私の身近でまさにこの現象が起きており、あまりの類似性に笑ってしまったほどである。

 また、その集団で使われていたとある言葉の背後にあるものが、実は「『情況』への適応」だということに気付き、これまた笑ってしまったほどである。

 この辺は、まとめて発表してみたら面白いかもしれない。

 

 あと、「空気」や「水」と『敗因21か条』を比較してみると、面白い何かが見られるかもしれない。

 これも今後の研究課題としよう。

 

 

 以上、『「空気」の研究』をメモにするレベルで読み直したが、その収穫するところは大であった。

 この知識は是非とも対外的に活かしていきたい。