0 はじめに
『「空気」の研究』に関するメモが終わってないが、次回で終わる予定であること、次にメモにする本が決まったので、今回からその本を読んでメモにしていく。
4冊目にメモにする本はこちらである。
このブログでは山本七平氏と小室直樹氏の著書の読書メモが中心になりそうである。
先日、この本を県の図書館で見つけ、借りて読んだ。
そして、最近、某所で見つけたので購入した。
購入したのであれば、メモにする程度に読み込んだ方が良い。
また、資本主義と憲法(立憲主義・民主主義)は密接な関係にあることは『痛快!憲法学』で見てきたとおりである。
さらに、資本主義社会で生きていく以上、その資本主義を研究対象とする経済学についてある程度知っておいた方がいい。
そこで、4冊目のメモはこの本にした。
1 本書で紹介されている経済学の巨匠について
この本では、経済学を発展させた巨匠(学者)について紹介しながら経済学の歴史・発展について紹介する、という形を採っている。
紹介されている先生方は次のとおりである。
トマス・ホッブス
デビッド・リカード
ヨーゼフ・アイロス・シュンペーター
レオン・ワルラス
ポール・アンソニー・サムエルソン
このように並べると、『痛快!憲法学』で登場された先生方の名前を見ることができる。
憲法(立憲民主主義)と資本主義に共通する思想・宗教を考慮すれば当然のことなのかもしれない(この両者をあっさりと分離してしまう点に我々日本人のファンディがある、という話は『「空気」の研究』でみてきたとおり)。
ただ、登場していない先生もいる。
また、私は経済学についてほとんど学んでおらず、この本を読むまで知らなかった先生もいるし、名前しか知らない先生もいる。
そこで、これを機に勉強する。
2 前書きを読む
前書きでは「経済学」の射程範囲の狭さに関する話から始まる。
つまり、経済学とあらゆる経済システムを対象としている学問のように見える。
しかし、本書によると「経済学の対象は近代資本主義である」と言う。
この点、法学や政治学の射程範囲は近代だけではない。
古代から現代までのあらゆる時代の「法」や「政治」が対象となるし、地域も中国からイスラムまで人間の営む地方であれば総ての地方が対象となるだろう。
社会学・心理学も同様である。
社会学はサルの共同体(社会)を対象にすることもあるし、心理学は動物に対する実験を盛んに行っている。
この観点から見た場合、「近代資本主義」のみを対象とする経済学はやや奇妙に見える。
どちらかと言うと、生物学や物性科学に近いというべきか。
また、本書では経済学は経済学者の独占物というわけではなく、様々な分野の人間によって研究されてきたことも紹介している。
ホッブスとロックは哲学者・政治学者だし、マルクスは革命家、マックス・ウェーバーは宗教社会学者である。
また、本書によると、アダム・スミスは倫理学の先生、リカードは投資家、マルサスは牧師である。
このことは色々な分野の学者によって経済学が成立していったこと、経済学は新しい学問であることを意味している。
最後に、日本の予備校の先生と経済担当大臣が書いた経済学の入門書が出版されたところ、「前者の方が遥かに良い」という話も紹介しており、その理由を「学問の目的が分かっていないため」としている。
この点を山本七平氏の観点から考察すると面白そうだが、これまた本筋ではないのでこれ以上踏み込まない。
こんなエピソードから経済学の発展に関する本格的な話に移っていく。
なお、前書きの最後にいわゆる「古典派」(古典経済学派・英国古典派)という言葉の使い方に関する注釈がある。
そして、「古典派」とその対となる「ケインズ派」について次のように用いている。
・「古典派」とは、レッセ・フェール(自由放任)を唱え、「市場がベストな状態を作る(市場に任せて放置すること至上)」と信仰している学派である
・「ケインズ派」とは、逆に、レッセ・フェールが「常に」ベストを作ると考えていない学派である
・両者を区別する基準は「セイの法則」の扱い方で決まる
このように考えることで、話が簡単になるらしい。
例えば、この分類で考えれば、ミルトン・フリードマン博士の主張するマネタリストやロバート・ルーカス博士の主張する合理的期待学派も古典派の範疇に入るらしい。
この読書メモでもこの言葉の使い方に準じるものとする。
ところで、経済学が研究対象とする近代資本主義、この近代資本主義の背後にキリスト教の予定説(聖書)があることは『痛快!憲法学』で確認した。
ならば、資本主義も信仰の現れの一種、ということになる。
その信仰がどのような形で現れるのか、本書を通してみていきたい。