今回はこのシリーズの続き。
今回も『「空気」の研究』を読んで学んだことをメモにしていく。
18 第2章_「水=通常性」の研究_(八)を読む
本セッションは前セッションの続きである。
つまり、日本人は集団主義・情況倫理で動いてしまうこと、その結果、集団相互・市民相互(私人相互ではない点に注意)の信頼を醸成する手段がない、という欠点を持つことがわかる。
それが端的に表れるのが、公害問題において見られた「資本家の論理」と「市民の論理」である。
つまり、所属集団毎に異なる情況を持っている関係で、お互いに前提等の確認ができないのである。
その結果、何が起こるか。
著者(山本七平氏)はある投書を例に挙げているが、欧米で言うところの「科学」にさえ「情況」が混入してしまうのである。
前回、「公害問題を対処するならば、『病気の原因を特定し、治療法を確立し、病気を予防する手段を確立する』これ以外にない。」と書いた。
しかし、これにも固定倫理の視点でものを言えば、という前提がある。
つまり、情況倫理もそうである保証は必ずしもない。
そして、色々考えていくと、情況倫理における公害問題の対処はそうではないと考えられる。
確かに、上の対処法が唯一無二ではない。
例えば、人間が全滅すれば「公害問題」も消滅する。
また、被害の存在を無視して関係者の口を全部封じて、「公害問題をやり過ごす」という手段だってある。
2つの例の是非・当否、成否の見込みはさておき、それを現実化させれば固定倫理から見て「解決」でなくても、ある情況下での「解決」とはなる。
閑話休題。
さて。
固定倫理的世界を背景に持つ科学に情況が入ってくればどうなるか。
「自由な発想・自由な学問研究」は不可能になるだろう。
また、自由な発想などが奪われれば、人間は予めビルトインされている習慣、つまり、通常性に沿って行動することになるので、保守化することになる。
この保守化を自由と言うか進歩と言うかはさておいて。
また、「公害に対処する」前に「公害によって生じた集団相互のゴタゴタ」を解決しないと収拾がつかなくなってしまう。
そして、「公害に対処する」手段も、「人間がいなくなければ問題もなくなる」的解決か、「様々な情況によって作られた集団を一掃する」ことによる解決という結果になる。
多くの場合、後者の方法が採用されるわけだが。
この「社会問題の発生」→「社会問題によって生じる集団相互の紛争の発生」→「集団の一掃」という経過はこれまで何度もなされている。
ただ、それによって得られた選択肢は日本の通常性によって基礎づけられていくので、ますます日本的なものとなり、自由もなくなっていくことになる。
著者はこの例を二・二六事件の北一輝の録取を題材に挙げている。
つまり、社会改革が必要になり、それを改革していく手段を抽象化すると、
「社会問題の発生」と「社会問題によって生じる集団相互の紛争の発生」
→「情況倫理を破壊することによる集団の一掃」
→「新たな一君万民情況倫理体制の作成」
になる。
要は、日本の中に小さい集団(それぞれの情況倫理を持つ)があるから、それを天皇を中心とする一つの集団にまとめよう、ということになる。
このようにしてできたのが、戦前の日本である。
そして、日本的情況倫理が固定倫理で言うところの「真実」を口にしないことを規範とする以上、自由な研究・発想はできなくなる。
また、ある情況が消えて、別の情況が現れたとしても、人は簡単に新しい情況に適応できるのである。
ちょうど、戦前、熱烈な軍国主義者が一夜にして民主主義者になったように。
ただ、この現象は運のみによって一つの悲劇を生み出す。
つまり、40年後の今から見れば、自動車公害・イタイイタイ病に対する判断が戦艦大和の特攻のような結果を導くことはなかった。
当然だが、固定倫理も固定倫理を端に発する近代科学も万能ではない。
しかし、だからこそ、その世界に生きる人間たちは不断の研究・検証が求められており、それを実践して、日本人から見れば到底ついていけないような理論の山を築いてきたとも言える。
一方、この悲劇の不発生は必然ではない。
それは、バブル崩壊後の日本、現在のコビットナインティーンに対して日本がのたうちまわっている現実を見れば明らかである。
そのとき、情況倫理(父と子の隠しあいの倫理)が作用して固定倫理から見た「真実」が言えなくなればどうなるか。
その結果、悲劇が起きたら(太平洋戦争の悲劇の足元にも及ばないだろうが)どうするか。
その悲劇は、科学や医学の問題ではなく、我々日本人の通常性に起因する問題、つまり、日本の「一君万民情況倫理」の問題となるだろう。
宮台先生の言葉に引き付けて書けば、「知性の劣化ではなく感情の劣化」・「原発をやめられない社会の問題」になる。
以上が、このセッションのお話である。
現実に起きている事件が山本七平の説明によって共通項を持っていることを知らされるのは非常に勉強になる。
今後もどんどん読み進めていきたい。