薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条』を読む 8

 今回はこれまでの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も山本七平氏の書籍から学んだことをメモにする。

 

 

9 「第9章 生物としての人間」を読む

 今回が関連する敗因21か条は次の2つである。

 

(以下、敗因21か条より引用)

 敗因二一 指導者に生物学的常識がなかった事

 敗因一九 日本は人名を粗末にし、米国は大切にした 

(引用終了)

 

 もし、私個人が「この本から最も学ぶべき章」を選択するなら、それは本章になる。

 本章の要約を一言で言うと、「人間は生物であり、その限界から逃れられない」ということである。

 

 当然だが、人間には「為しうること」と「為しえないこと」がある。

 非常に簡単な例を挙げれば、人間は重力(万有引力)には逆らえない。

 人間がいくら「落ちるな、浮け」と念じても、重力を無視することはできない。

 飛行機を使って空を飛ぶことはできても、重力を無視しているわけではない。

 

 重力もそうだが、それ以外にも逆らえないものがたくさんある。

 その一つの限界が「人間は生物であり、生物のもつ性質から逃れられない」ということである。

 例えば、「食物がなければ飢える」、「酸素がなければ呼吸ができなくなって死ぬ」などもそうであろう。

 

 ただ、一般に秀才はその限界に気付かないことがある。

 何故なら、彼らは努力などにより一時的にその限界を突破し、また、突破できてしまうからである。

 例えば、飛行機を使って、重力に逆らって空を飛ぶように。

 あるいは、意思の力で寝ないで業務等を遂行し、一時的に爆発的な成果を出すように。

 

 もちろん、その限界に気付かない結果、または、限界を突破しようと振舞った結果、社会に良き結果(技術革新・制度改革その他)をもたらすこともある。

 しかし、逆の結果をもたらすことも少なくない。

 

 

 そして、その限界で重要かつ致命的だったことが、「人間が(ある極限)状態に陥った場合、考え方・行動様式・生き方も通常から外れてしまう」ということである。

 そのため、「もし、通常の考え方・行動様式・生き方を維持したければ、そもそも人間を(ある極限)状態に陥らせないことが重要だ」ということになる。

 このとき、「通常の考え方・行動様式・生き方から外れたことを非難・罵倒すること」などなんの役に立たない。

 

 そして、その「通常」を維持するために最も重要なこと、それが「食料の配給」であり、言い換えれば、「飢餓からの回避」である。

 だから、社会統治システムは「食料の配給」を目的にしていると言ってもよい。

 逆に言えば、その目的を達成できるなら、自由主義だろうが、社会主義だろうが、独裁だろうがなんでもよいということになる。

 

 そして、「食料の配給が途絶えたらどうなるか」、それについて説明されているのが、本章、そして、故・小松真一氏の『虜人日記』に記載されているジャングルの記録ということになる。

 

 この章で重要と思われる部分をピックアップすると次のとおりになる。

 

・人間は食料がなくなると、「坐して餓死を待つこと」をせず、ふらふら動き出し、自滅してしまう

・このような状態が日常化すると、飢餓によって栄養失調者になった人たちは同情されず、恐怖に似た嫌悪感を抱く

 

 詳細をここで話すことはしないが、私もこの2点に類する経験をしている。

 だから、これらのことを改めてみても「さもありなん」となる。

 もっとも、私が「さもありなん」と思っているのは、この2点に類する経験をしているからであって、逆にこれらの経験がなければ「さもありなん」と思ったかどうかは分からない。

 

 

 さて。

 ここから少し踏み込んでみる。

 とはいえ、根拠があるわけではないので、妄想に準じたことを書くかもしれないが。

 

 この背景にあったものはなんだろう。

 例えば、当時の陸軍・官僚たちに生物学的常識を教えれば、この問題は解決したのだろうか。

 あるいは、陸軍官僚の候補生をジャングルに放り出し、飢餓状態の経験でもさせておけば、この問題は解決したのだろうか?

 もちろん、それらの行為によって多少の改善は見込めただろうが、抜本的な解決にはならないような気がする。

 言い換えれば、「経験・知識あれば回避できた」というイメージはつかめない。

 

 

 そういえば、最近、内田樹先生のブログで気になる文章があった。

 文章は「予言の書」としての『1984』」から。

 

blog.tatsuru.com

 

(以下、ブログより引用)

 そう考えると、丸山眞男『日本の思想』(岩波新書)、川島武宜『日本人の法意識』(岩波新書)、岸田秀『ものぐさ精神分析』(中公文庫)、山本七平『「空気」の研究』(文春文庫)といった古典的な日本人論が指摘していたことはほとんど当たっていたということですね。当たっていたのだけれど、それらを読んでも、日本人はおのれの本質的な幼さ、弱さを克服することはできなかった、と。なんだか希望のない結論になってしまいましたね。

(引用終了)

 

 ここで書いてあることを一言で言えば、「分析の内容は非常に素晴らしいものだ。しかし、その分析結果を読んでも改善はされない」になる。

 とすれば、次のステップは「何故改善できないのか」に焦点をあわせるべきだろう。

 

 私が『日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条」を読みだして、全体の約3分の2が読み終わった。

 おそらく、この本の分析は妥当なものだろう。

 しかし、「何故改善できないのか」が分からなければ、分析結果を読んでも意味はないのかもしれない。

 となれば、「何故改善できないのか」にも目を向けるべきなのだろう。