1 大日本帝国憲法の注釈書『憲法義解』
最近、図書館から借りてきた『憲法義解』を読んだ。
この本を借りたのは、大日本帝国憲法について興味を持ったためである。
現在、私は「憲法」について興味を持っているところ、大日本帝国憲法は日本に近代立憲主義を持ち込んだ最初の憲法(コンスティテューション)である。
本書にも同趣旨のことが書かれていたが、日本の憲法及び日本の憲法の歴史に興味を持ち、それらについて調べようと思ったら、この本(憲法義解)にあたらないという選択肢はない。
ここ数日、最初から最後までざっと読んだ。
ざっと読んだだけではあり、「理解した」というには程遠い状況だが、それでもかなり勉強になった。
ただ、ちゃんとこの本の内容を理解するため、近い将来購入しようと考えている。
2 読んで得たこと
当時の日本政府にとって、近代主義を日本にどのように取り入れるかは大きな課題であった。
つまり、明治憲法は「近代主義を日本に導入しようと試みた結晶」である。
その苦労を憲法の条文・条文解釈(義解)に見ることができた。
また、司法試験合格のために憲法を学習した際に出てきたいくつかの論点について「この論点にはこんな背景があったんだ」ということも知ることができた。
具体的な論点を示すと、「特別権力関係」と「委任立法と罰則」についてである。
論点をめぐる解釈・政治的背景について分かったのは大きな収穫であった。
さらに、どんな憲法にも欠陥があるところ(それは現在の日本国憲法にも言える)が、明治憲法に含まれた欠陥を具体的に把握することができた。
「軍部が『統帥権の独立』を悪用して云々」という言葉はよく言われており、私もその言葉は理解していたが、大日本帝国憲法の条文と条文解釈を見ることで「あー、なるほど」と理解することができた。
3 ざっと読んだ感想
以下、私の感想。
ざっと読んだ印象(あくまで印象であり、正しい保証はない)として、「この憲法は天皇陛下(とその藩屏)が主体的に行動することを前提としているな」と感じた。
極端な言い方をすれば、この憲法では天皇陛下は「君臨すれども統治せず」というスタンスを採れないのではないか、ということである。
もちろん、天皇陛下御自身が大日本帝国憲法作成直後(日清戦争後)から立憲君主として振舞っていたということは知っているが。
この点、天皇陛下御自身が「君臨すれども統治せず」というスタンスを採られても、周り(元老)が補佐すれば問題がなかった。
しかし、元老は大正時代に西園寺公(西園寺公望)を除いてほとんどいなくなり、また、それに代わるものもなくなってしまった。
他方、大日本帝国憲法の議会(国会)の権能はそれほど強くない。
そのため、憲法解釈を用いてどんなに議会の権能を強めたところで限界がある。
したがって、昭和に入ってから権力に空白地帯ができ、かつ、その空白地帯に対する議会のコントロールも効かなくなってしまった。
それがために何が生じたかは説明不要であろう。
次に、「大日本帝国憲法は『外見的立憲主義』である」と言われているらしいが(司法試験の勉強の際に教えられた)、それについて「なるほど」と実感することができた。
この「外見的立憲主義」という言葉には否定的なニュアンスが含まれている。
ただ、当時の状況を思うに、キリスト教を背景に持たない我が国においてそれはやむを得ないのではないかという気がする。
この点、平等という概念は「神の前の平等」というキリスト教を前提としている。
しかし、キリスト教のない日本にはそんなものはない。
そこで作り上げたのが「天皇の前の平等」という概念。
となれば、「天皇による権利保障」という形式をとらざるを得ない。
私が「やむを得ない」と評価しているのはそう意味である。
さらに、歴史、抽象的には、「時の流れ」を意識しながら理解することの重要性を確認した。
私は理系の人間ゆえ、「時の流れ」というものを意識することは少ない。
例えば、数学・物理の定理などは過去でも今でも同様に成立するので、歴史を意識する必要性に乏しい。
しかし、社会科学はそうはいかない。
となれば、結論部分を知識として覚えるだけでは「資格試験に受かる」という目的に対して合理的であっても、理解の観点から見て不十分であるように感じた。
4 これからについて
さて。
「大日本帝国憲法は欧米で発展した近代主義と日本の伝統を接続する試みの結果できたものである」旨述べた。
そのため、近代主義、すなわち、キリスト教や日本の伝統についても把握する必要がある。
次に私が学ぶべき内容は明治憲法を支えたいわゆる「天皇教」になる。
具体的には、日本の神話と尊王思想(水戸学)に関する入門書を読むことになりそうだ。
順次読んでいきたい。