今日はこれらの記事の続き。
前回までと同様、私が『日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条』から学んだことをまとめる。
4 「第4章 暴力と秩序」を読む
この章、書いてある内容は理解できた。
ただ、最近まで正直理解のピントがあっていなかった。
しかし、最近、人生において様々な経験をしたゆえであろうか。
理解のピントがあってきた。
その結果、背筋が凍るのを感じた。
第2章の「バシー海峡」では、「失敗に対して敗因分析を怠り、量を増やしてひたすら突進したことで生じた悲劇」が語られている。
第3章の「実数と員数」では、「『員数』という虚構にしがみつき、現実という「実数」の分析(把握)を怠ったことで生じた悲劇」が語られている。
そして、第4章。
この章は「共同体(集団)において自らの文化・思想に基づく具体的な秩序を作ることを怠ったことで生じた悲劇」について語られている、と理解している。
この章、敗因21か条と関連するのは次の2条である。
(以下、敗因21か条より引用)
十八、日本文化の確立なきため
十六、思想的に徹底したものがなかったこと
(引用終了)
この章で書かれている内容は、PW(戦時の捕虜)が収容されたキャンプで生じた暴力的秩序に関する話である。
本で紹介されている『虜人日記』の内容を簡単にまとめると、次のようになる。
(以下、まとめ)
① 日本人の収容所において、力で有無を言わせずに人を従わせる傾向がある者が組織運営を行った結果、暗黒暴力政治時代になってしまった。
② 収容所を運営しているアメリカ人側も『さすがにこれはまずい』ということで、暴力政治を仕切っている人間を追い出した。
③ その結果、一見民主主義的な組織が出来上がったが、今度はそれに従わない連中が出てきて、秩序はなりたたない。
④ ああ、日本人は情けない。暴力がなければ秩序は成り立たんのか。
(引用終了)
ざっとまとめてしまったが、似たような話は今でもありそうな気がする。
少なくても、私がこの現象について他人事であると思うことは全くできない。
そして、こうなった背景について話は進む。
最初に、山本七平氏が指摘しているのは、この収容キャンプにおいて生じた現象の意味付けである。
山本七平氏は指摘する。
これは、日本人たちに対して「最低限の衣食住の保障を与える。労働からも解放する。組織も切り離す。だから、お前らは自分たちの思想・文化に基づき組織を構成して自治をやれ」と言われたときに、集団がどうふるまうか調べた結果である、と。
もちろん、そんな意図は誰もないだろう。
だが、意図がなくても、意図があった場合に設定する条件が同じであれば、そのような評価は十分可能である。
そのため、収容キャンプで生じた現象(暴力政治)は「日本人が組織から解放された場合に作り出すであろう秩序そのもの」である、と。
キャンプの運営者たるアメリカ人は暴力政治が目に余るので排除したが、それ以上の関与はしていない。
そのため、この結果はキャンプの運営者たるアメリカ人の思想によるものではない。
つまり、この結果はまさに構成員たる日本人によるものであり、言い訳の余地はない。
さらに言えば、この現象は別に一部の現象ではないらしい。
とすれば、一部の例外を除き、そこそこの妥当性を有するもの、ということになる。
そして、例外として「職人集団」があった、と書かれている。
以上の評価を前提に、「何故?」という問題に進む。
山本七平氏は指摘する。
日本軍を維持していた秩序は、日本古来の文化も思想にも根差さないメッキだった、と。
そして、その原因は「文化の確立」も「思想的徹底さ」もなかったためである、と。
山本七平氏が経験した世界は次のような感じだったようである。
各人は様々な考えを持ち、それに基づいて発言した。
発言自体に問題はない。
しかし、各人はその発言に伴う行動はせず、その行動は「人間の本性」のままであった。
さらに、発言と行動の不一致を指摘される(当然の指摘であろう)と、それを認めずに怒る。
その怒りは混乱・嘲笑・侮蔑・反発となり、最終的には暴力と暴力の応酬に転化する。
その結果が暴力政治である、と。
文化の確立があれば、「行動と発言が一致しない」ということはある程度回避できたであろう。
「確立」という過程において、不一致の部分が修正されるだろうから。
思想的徹底さがあれば、行動と発言の不一致を指摘されたら素直に認めて自省しただろうし、また、不一致の程度も修正されたであろう。
しかし、その両方がなければ、このような結果が生じたとしても不思議ではない。
さらに、「力があること」それ自体は問題ではない。
思想も文化も他人を強制する力があるという意味では「力」なのだから。
そして、「力」がなければ秩序はできないのだから。
しかし、「力」を制御するものがなければ、生身の暴力がそのまま秩序になってしまう。
それだけのことである。
以上のからくりを理解して、私は背筋が凍った。
なるほど、これは全く克服できていないと言わざるを得ない。
収容キャンプにおいて弱き者は既に戦死・餓死していた。
それがいないキャンプでもこんな結果なのである。
ならば、弱き者が存在する現在の日本ならどうか?
言うまでもない。
最近、私の近くでこれに似た現象があった。
もちろん、収容キャンプではないので、その集団から離脱する自由はある。
だから、誰かが身体上のケガをした、といったことはない。
しかし、それを見て溜息をつかざるを得なかった。
「なるほどね」と。
もちろん、遠くから見ると決めて、介入しない自分自身にも批判の矢は刺さる。
この現象が生じた原因について責任のいくらかは私にあるから。
現在、私が「死んでいる」と判断し、関心がなくなった日本国憲法を見直そうと思ったのは、日本国憲法の理念である自由主義・民主主義・平和主義・資本主義(これはキリスト教に由来する)が日本古来の思想とどの程度重なり合うのかを確認したかったからである。
「全部重なる」、「全く重ならない」ということはないだろう(ひょっとしたらあるかもしれないが)。
また、自由主義・平和主義・民主主義・資本主義、それぞれ見ても重なり合う程度は違うだろう。
だが、その点をちゃんと見ておかないと、それがために悲劇が起きるのではないか。
それから、各学問と日本文化との食い合わせも見たいと思っている。
これは妄想レベルの話だが、数学のような学問と日本文化も食い合わせが悪いような気がするので。
最後に。
「背筋が凍った」のはその通りである。
しかし、これはしょうがない面もある。
つまり、日本は植民地にならないために必死で西洋の技術や政治システムなどを取り入れた。
しかし、太平洋戦争は日本が近代化を初めてから100年も経っていない。
100年未満で日本文化とヨーロッパの思想・技術とリンクさせよ、といってもねえ。