薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

久々に市の図書館に行く

1 湯水のごとくあふれ出た好奇心

 最近、湯水のように好奇心が沸き、様々なものに対して関心を持っている。

 

 まず、故・山本七平氏関係。

 彼の本を読む目的は、「彼の太平洋戦争の体験などを通じて得られた彼の評価関数・分析を学び、よって、私個人や日本を理解すること」にあった。

 しかし、故・山本七平関係の書物をあたれば、色々と周辺事項を知りたくなる。

 その結果、日本の歴史と日本の思想(尊王思想)について興味を持った。

 また、日本の思想の背景にある日本神話にも興味を持った。

 

 その一方で、メモ書きの裏側にプリントされていた旧司法試験・論文試験・憲法の過去問を見ることで、近代憲法についても関心を持った。

 とはいえ、興味を持つのは各論ではなく総論である。

 だから、憲法それ自体ではなく、キリスト教(聖書)・西洋史にも興味を持つことになる。

 

 そして、私が漫画を通じて親しんでいた神話であるギリシャ神話。

 これにも興味を持った。

 

 以上のように、現在、日本史・日本思想(尊王論)・日本神話・キリスト教(聖書)・ヨーロッパ史憲法ギリシャ神話に興味を持ってしまった。

 来週の水曜日に受験予定の「統計検定2級」や現在学習中のプログラミングなどはどこへ行ったのやら、という状態である。

 

2 そうだ、図書館へ行こう

 さて、日本史・日本思想・日本神話・キリスト教ヨーロッパ史憲法ギリシャ神話等と色々な興味を持ったので、とっかかりとして入門書を読みたいところである。

 しかし、分野の数が多い。

 そのため、本を一気に買い求めれば、お金が結構飛んでしまう。

 そこで、私が住んでいる市の図書館に行って様子を見ることにした。

 

3 新鮮な気分を味わう

 市の図書館に到着する。

 正面玄関前に、ポスターが貼ってある。

 なんだろうと思ったら、マクドナルドのバイト募集のポスターであった。

 

 よくみると、図書館のサポート企業ということらしい。

 そんなシステムができたのか、と新たな知識が得られる。

 

 あと、興味深かったのが、入口正面に入ってとあるアイドルのブースがあったことである。

 私はアイドルのことに全然疎く、詳細は知らないが、新鮮であった。

 

 さて、図書館のことはさておき、本を探す。

 ギリシャ神話でいい本はないかな、日本神話でいい本はないかな、聖書についていい本はないかななどと思ったら、思いもがけない本が見つかった。

 例えば、これ。

 

 

 著者の福田博という方(大学の先輩にあたる)は私が司法試験の勉強をしていたころの最高裁の裁判官である。

 そして、議員定数不均衡訴訟(所謂「一票の格差」訴訟)では反対意見を書き続けた裁判官でもある。

 さらに、この方は外交官出身である。

 そのため、外国の事情に精通しており、(日本独自のしがらみにとらわれず)原則に忠実なことを述べられている。

 一部紹介したい。

 

 判決の事件番号・判決全文は次のとおりである。

 

 事件番号等・平成15(行ツ24)、最高裁大法廷判決、平成16年1月14日、民集第58巻1号56頁

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/391/052391_hanrei.pdf

 

(以下、平成16年に出された参議院議員定数不均衡訴訟の判決にある福田裁判官の追加反対意見より引用、なお、一部は省略する、さらに、強調は私の手によるもの)

 現実に国会が制定し改正を重ねてきた公職選挙法は,(中略)双方の選挙区選挙において地域的要素を加味ないし維持することにより,投票価値の平等の要請から離れた形の選挙制度を維持し続けており,投票権の平等を実現しようとはしない。最高裁判所も,累次の大法廷判決において,衆議院議員の選挙区選挙については最大3倍,参議院議員の選挙区選挙においては最大6倍までの較差の存在を合憲とする判断を重ねてきており,今回もその基本的な傾向は変わらない。

 このような較差の存在を合憲とする多数意見が理由とするところは,立法裁量の範囲内とするもの,地方自治の重要性を強調するもの,選挙訴訟の性質を理由とするものなど様々であるが,いずれも憲法が定める投票権の平等の本質的重要性を理解しないものであり,(中略)全く認めることはできない。
 現在の衆参両院の議員選挙について等しくいえることは,国会は,民主主義の統治システムの要であり,国の将来を定めていく上で最も重要な役割を担っているにもかかわらず,選挙区選挙に関する限り,長年にわたる投票価値の不平等の問題を解決することなく放置し,せいぜい不十分な修正を行うのみで,歪んだ形での選挙制度を温存することにより,基本的に現職に有利な体制を維持し続けているということである。
 これは憲法14条1項に定める法の下の平等に反するのみならず(14条1項を前後段に分け,後段に「住所」が特記されていないので,住所により投票価値に差が出ても,違憲の問題とはならないというような議論は,法の下の平等の本質を理解しないものである。もしそのような解釈で良ければ,例えば所属する「政党」(14条1項には特記されていない。)によって投票価値に差を設けても,憲法上の問題とはならないはずであるが,そのような説が受け入れられないことは現代の民主政治体制の下ではもとより当然のことである。なお,全く念のために一言すると,「政党」が14条1項に特記する「信条」によって形成されるものに限らないことは,我が国の現状を見ても疑う余地がない。),(中略)憲法15条1項,3項の定める国民の選挙権そのものを否定しているといえる。(中略)

 なお,一言付言すると,反対意見の中には現在の公職選挙法で認められている1票の較差を違憲とするものの,最大較差2倍までを合憲として許容する立場のものも多い。この考えは,長年にわたり大きな較差が存続している情況の中で,較差の是正に向けて,やや現実との妥協を図って提案されているものであり,それなりに好意的な受け取めをされることがある。(中略)しかし,この提案は,やはり正しくないというのがその後の私の考えである。すなわち,現代民主主義政治における投票価値の平等とはあくまでも1対1を基本とするもので,1対2は1対1ではない(別の言い方をすると,1対2が認められるのであれば,どうして1対3や1対4が認められないのかは,理論的に説明できない。)。

 就中,最も問題であるのは,仮にある程度の較差は認めることができるという司法判断があると,国会は,それを奇貨として,更にその例外を温存することに邁進するのが現実であることである。(中略)

 国会が投票価値の平等の実現に熱心ではない現実の前では,司法はその義務を厳格に果たさなければならない。これまでの司法の対応は,時の権力に奉仕,追従し続けるものにほかならないとの批判には理由がある。現状を見る限り,選挙制度について,最高裁判所違憲審査権を適切に行使する責任を果たしておらず,憲法に定める我が国の民主主義体制を維持するための所定の役割を果たしていない。(後略)

(引用終了)

 

 この判決文を直接目にしたのはこの判決が出た平成17年の春ころであるが、内容の是非はさておきカッコいいことが書いてある。畏まった法的な文章を日常語に意訳する(あるいは、「私釈三国志」風に意訳する)なら次のとおりになる。

 

(以下、意訳)

憲法14条に「住所」と書いてないから、住所によって投票の価値に差が生じても違憲ではないというのは「下手の考え休むに似たり」で話にならん。それなら、所属政党によって票の価値に差を付けても(「所属政党」は憲法14条に記載されてないから)憲法上問題ないということになるが、それが民主主義では認められないことは明らかだ。さらに、バカのために言い添えておくが、所属政党は「信条」によるものとは限らないから、政党差別は信条差別と直結しないぞ。

・反対意見の中には「2倍以内ならまあ合憲」という基準があり、妥協案として好意的に受け止めている人もいる(私も同意したことがある)。しかし、原理的に見れば正しくないこと、現在、国会は最高裁判所が例外を認める合憲判決を書くと、その判決を奇貨としてその例外を温存しようと邁進することを考えれば、妥協案としても疑問がある。

・外野では「最高裁は国会・内閣に阿っている」という批判があるが、選挙制度に関する最高裁の態度についてはこの批判はもっともである。

(意訳終了)

 

 言いたい放題である。

 内容の是非はさておき、(当時の)私のハートを揺るがしたことは間違いない。

 

 というわけで、即座に借りることにした。

 さっさと読み切ってしまう予定である。

 

 次に、キリスト教関係で本を探していたら、次の本が見つかった。

 

 

 

 この人は安土桃山から江戸初期の人であり、キリスト教を受容し、かつ、棄教した人であり、この人についても非常に興味があったので、借りてきた。

 

 あと、日本神話やギリシャ神話や水戸学や歴史の本を借り、さらに次の本が見つかった。

 

 

 明治憲法制定経緯を知るならこれを読む必要があるだろう。

 よって、これも借りる。

 

 しかし、色々本を物色していると、持ち運ぶ本が重い。

 だから、カートを借りて運んだ。

 図書館でカートを引きながら動き回るのは初めてである。

 新鮮な経験であった。

 

 というわけで、借りてきた本。

 他にやることがたくさんある関係でどこまでやれるかは分からない。

 ただ、時間が許せば、メモくらいは残そうと考えている。