薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

司法試験の過去問を見直す1 その2

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 前回は表現の自由の一般論に触れた。

 今回はその次。

 

5 内容中立規制とは

 過去問の該当部分を再び転記する。

 

(再び転記)

「市の繁華街に国政に関する講演会の立看板を掲示した行為が、屋外広告物法及びそれに基づく条例に違反するとして有罪とされても、表現内容にかかわらないこの種の規制は、立法目的が正当で立法目的と規制手段との間に合理的な関連性があれば違憲ではないからやむを得ない。」との見解について論評せよ。

(中略)

(終了)

 

表現の自由の規制について裁判所が判断する際には厳しい基準で臨まれるべきである」という一般論とその背景については前回説明した。

 しかし、これはただの一般論である。

 

 そこから具体的な基準が一律に導かれるわけではない。

 さらに言えば、この一般論自体一切の例外を認めないものではない。

 

 よって、この過去問が指定する「内容中立規制」においてどう考えるのか。

 原則で押し切るのか、例外を考えるべきなのか。

 それに答えなければならない。

 

 その前に、内容中立規制とは何かということを説明する。

 内容中立規制とは、過去問に書いてあるような「表現内容にかかわらないこの種の規制」である。

 ただ、これではピンとこないと思うので、例を挙げる。

 

 前回のブログで書いた「マルクス思想に関する発表を規制(禁止)する」これはまさに表現の内容に着目した規制しており、「内容規制」である。

 

 他方、表現の自由を規制する理由は他にもある。

 例えば、深夜に住宅街で大声で政治的な意見(正当な意見)を述べるとしよう。

 仮に、その内容が政府・議会にとって都合が良いものとする。

 しかし、これを放置すれば住民の安眠が害され、健康被害が生じかねない。

 とすれば、これを防止するために「地域を限定して、一定の音量以上の発表を規制する」ことがありうるだろう。

 

 この場合の規制は、政治的意見の内容は関係ない。

 どんな内容であれ、健康被害が発生しうるので規制するのである。

 

 このような規制を「内容中立規制」という。

 簡単に言えば、内容中立規制とは「今はやるな」・「他所でやれ」規制と言ってもよい。

 

6 内容中立規制による表現の自由の制限

 少し考えればわかるが、この規制は言論の内容は関係ないので、発表者は別の手段を考えることができる。

 例えば、前述の例でいえば、「夜・この地域」について規制しても、朝とか夕方にやる等の代替手段があるし、「繁華街でやる」という手段もあるし、インターネットで同じことを書いてもよい。

 だから、一般に、内容中立規制は表現の自由に対する制限の程度が(内容規制と比べて)強くない。

 

 それから、内容中立規制は現実に規制する必要があるケースが内容規制に比べて多い。

  上の例では健康被害を出したが、他にも例がたくさん挙げられる。

 例えば、道路上の規制とか考えてみればよい。

 

 さらに、権力者側が内容中立規制を使って言論を規制しようとしても必ずしも実効性があるとは限らない(もっとも、実効性を持たせる手段はあり、それについては後で述べる)。

 そして、裁判所が違憲と判断することは、多数派の決定を覆すことになるのだから民主主義にとっては例外である。

 ならば、裁判所がしゃしゃり出る必要があるのか、という問題がある。

 

 などなどいろんなことを考えていくと、「内容中立規制に対しては内容規制程厳格に判断する必要はないではないか」という考えが出てくる。

 過去問に掲載された見解はまさにこのような見解である。

 

 また、最高裁判所も「内容中立規制に対しては内容規制程厳格に判断する必要はないではない」という見解を採用しているようで、その根拠を以下の事件の補足意見(補足意見とは判決の根拠を補足するために書いた最高裁判所裁判官の意見のことであり、判決の背景を知るために重要なものである)

 

屋外広告物条例違反事件

昭和59年(あ)1090号・大分県屋外広告物条例違反被告事件・昭和62年3月3日最高裁判所第三小法廷

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/312/050312_hanrei.pdf

 

 該当部分を引用する。

 

(以下、補足意見の引用)

 本条例の目的とするところは、美観風致の維持と公衆への危害の防止であつて、表現の内容はその関知するところではなく、広告物が政治的表現であると、営利的表現であると、その他いかなる表現であるとを問わず、その目的からみて規制を必要とする場合に、一定の抑制を加えるものである。

 もし本条例が思想や政治的な意見情報の伝達にかかる表現の内容を主たる規制対象とするものであれば、憲法上厳格な基準によつて審査され、すでにあげた疑問を解消することができないが、本条例は、表現の内容と全くかかわりなしに、美観風致の維持等の目的から屋外広告物の掲出の場所や方法について一般的に規制しているものである。

 この場合に右と同じ厳格な基準を適用することは必ずしも相当ではない。

 そしてわが国の実情、とくに都市において著しく乱雑な広告物の掲出のおそれのあることからみて、表現の内容を顧慮することなく、美観風致の維持という観点から一定限度の規制を行うことは、これを容認せざるをえないと思われる。

 もとより、表現の内容と無関係に一律に表現の場所、方法、態様などを規制することが、たとえ思想や意見の表現の抑制を目的としなくても、実際上主としてそれらの表現の抑制の効果をもつこともありうる。

 そこで、これらの法令は思想や政治的意見の表示に適用されるときには違憲となるという部分違憲の考え方や、もともとそれはこのような表示を含む広告物には適用されないと解釈した上でそれを合憲と判断する限定解釈の考え方も主張されえよう。

 しかし、美観風致の維持を目的とする本条例について、右のような広告物の内容によつて区別をして合憲性を判断することは必ずしも適切ではないし、具体的にその区別が困難であることも少なくない。

 以上のように考えると、本条例は、その規制の範囲がやや広きに失するうらみはあるが、違憲を理由にそれを無効の法令と断定することは相当ではないと思われる。

(引用終了)

 

7 「合理的関連性」という言葉

 確かに、内容中立規制は別の手段で発表することができる。

 また、規制のニーズもある。

 さらに、言論弾圧のおそれも弱い。

 というわけで、一般論として「内容中立規制に対して内容規制と同レベルの基準で判断すべき」というという人は少ないし、私もそう思っているわけではない。

 これで話が終わりならば、「見解に同意して終了」となるし、私の答案もそうなるだろう。

 

 しかし、私が過去に見解に同意しなかった理由は、「合理的関連性」では緩やかすぎる、と判断したためである。

 

 合理的関連性とは何か。

 ぶっちゃけて言えば、「『全く関係がない』とは言えない程の関係」のことを指す。

 これを端的に説明している最高裁判決として猿払事件という最高裁判決があるので、それを紹介する。

 

猿払事件

昭和44年(あ)1501号・ 国家公務員法違反被告事件・昭和49年11月6日最高裁判所大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/800/051800_hanrei.pdf

 

(以下、猿払事件最高裁判決より引用、強調は私の手による)

 また、右のような弊害の発生を防止するため、公務員の政治的中立性を損うおそれがあると認められる政治的行為を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があるものと認められるのであつて、たとえその禁止が、公務員の職種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは行政の中立的運営を直接、具体的に損う行為のみに限定されていないとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない。

(引用終了)

 

 この事件は「行政の中立的運営を確保し、中立的運営に対する国民の信頼を確保するために、(休日・勤務時間外で、かつ、勤務とは無関係で、かつ、私服姿で行われた)公務員の政治活動を刑事罰によって規制できるか」ということが問題になった判決である。

 ここで書いてあることをまとめると、

 

・害悪が具体的に発生しない行為を規制しても(抽象的に発生するなら)合理的

・公共の利益を直接的に損なう行為でなくても(間接的に損なう行為であれば)合理的

 

ということになる(「合理的関連性」がある)。

 さすがに、「それは広すぎるわ」ということになる。

 

 昭和58年憲法第1問のブログで書いた通り、当時の私は憲法的価値観に忠実だった。

 というわけで、「ここまで緩やかにしちゃダメだろ」と考えて、答案を作った。

 

 この点、「内容中立規制なら緩やかでよい」という見解に対しては次の批判にさらされている。

 

・内容中立規制を複数作って実効性のある代替チャンネルをつぶしてしまえば、事実上言論封鎖できてしまう。そうなれば、内容規制と変わらない。

・単一の内容中立規制では実効性がないからと言って、権力者の誘惑それ自体がなくなるわけではない。

・内容中立規制に見せかけて内容規制をすることができるではないか

 

 だから、この辺のことを踏まえて「緩やかにするにも限度があるよ」ということは理論上可能であるし、説得力ある答案を作ることもできる。

 だから、今この問題を見返しても、たぶん、同じようなことを書くだろう。

 この点は税関検査を題材とした過去問とは違う。

 

 なお、この点について最高裁判所はどう考えているのだろうか。

 前述の補足意見では次のように述べている。

 

(以下、上の事件の補足意見より引用、強調は私の手による)

 しかしながら、すでにのべたいくつかの疑問点のあることは、当然に、本条例の適用にあたつては憲法の趣旨に即して慎重な態度をとるべきことを要求するものであり、場合によつては適用違憲の事態を生ずることをみのがしてはならない。

 本条例三六条(屋外広告物法一五条も同じである。)は、「この条例の適用にあたつては、国民の政治活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害しないように留意しなければならない。」と規定している。

 この規定は、運用面における注意規定であつて、論旨のように、この規定にもとづいて公訴棄却又は免訴を主張することは失当であるが、本条例も適用違憲とされる場合のあることを示唆しているものといつてよい。

 したがつて、それぞれの事案の具体的な事情に照らし、広告物の貼付されている場所がどのような性質をもつものであるか、周囲がどのような状況であるか、貼付された広告物の数量・形状や、掲出のしかた等を総合的に考慮し、その地域の美観風致の侵害の程度と掲出された広告物にあらわれた表現のもつ価値とを比較衡量した結果、表現の価値の有する利益が美観風致の維持の利益に優越すると判断されるときに、本条例の定める刑事罰を科することは、適用において違憲となるのを免れないというべきである。

(引用終了)

 

 まあ、補足意見でこのように述べたところで、現実問題としてこの意見に従って比較考量をし、結論として適用違憲判決を最高裁が出すことはないだろうが。

 

 

 さて。

「私が書きたいこと」はこの続きにある。

 ただ、ここまでの前提を書かないと、私が言いたいことが単純化されてしまう。

 だから、ちょっとだけマニアックなことを書いた。

 

 そして、私が書きたいことにつなげたいのだが、分量が2000字になってしまったので、ここからは次回に。