薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『日本人のためのイスラム原論』を読む 8

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

8 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第1節」を読む(前編)

 第1章では、「規範」という観点からイスラム教・キリスト教ユダヤ教・仏教・儒教、そして、日本教についてみてきた。

 ここで触れていない著名な宗教はヒンディー教、それから、過去に存在したゾロアスター教であろうか。

 そのため、宗教についてある程度網羅的に見たと言える。

 

 ここで、各宗教を規範の観点からまとめておこう。

 

 規範あり(強い)、仏教・儒教ユダヤ教イスラム

 規範なし(弱い)、キリスト教日本教

 

 もちろん比較する要素は他にもある。

 神の数、神の人格の有無、救済対象、救済内容などなど。

 それらは適宜追加していく予定である。

 

 第2章の第1節のタイトルは「『一神教』の系譜_キリスト教の『愛』とアッラーの『慈悲』を比較する」

 キリスト教におけるイエス・キリストの「愛」とイスラム教におけるアッラーの「慈悲」、つまり、神の恩寵という観点から一神教についてみていく。

 

 

 第1章でみてきた通り、キリスト教は信仰ありきで規範がない。

 それに対して、ユダヤ教イスラム教には規範がある。

 その結果、キリスト教イスラム教は大きく違うことがわかる。

 同じ一つの絶対神に帰依する宗教なのに。

 

 この点、キリスト教ユダヤ教の律法を廃止することで独立する。

 この思想を確立したのがパウロであり、そのことが「ローマ人への手紙」に見られる。

 該当する部分を見てみよう。

 

(以下、『ローマ人への手紙』の第3章の28節から、引用元のリンクは次の通り)

わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。

(引用終了)

 

(以下、『ローマ人への手紙』の第9章の32節と33節から、節番号は省略)

 しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった。

 なぜであるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。彼らは、つまずきの石につまずいたのである。

引用終了)

 

ja.wikisource.org

 

 この「信仰のみが重要」というキリスト教の発想が特異的であることは既にみてきた。

 というのも、それ以外の儒教・仏教・ユダヤ教イスラム教には明確な規範があるからである。

 しかし、日本人にはこのキリスト教の特異性が分からない。

 なぜなら、日本社会には「宗教的な『規範』をいつの間にか消してしまう作用」があるからである。

 このことは仏教の戒律を廃止していった歴史、儒教孔子一本槍になっていった歴史が参考になる。

 つまり、日本では「形より心」・「戒律より信仰」が常識なのである

 

 

 また、キリスト教は「博愛の宗教」と言われている。

 そこで、この点について歴史を参照しながらみていく。

 

 キリスト教は信仰を求める。

 では、その信仰の具体的内容は何か。

 その内容を律法学者の問いに対するイエス・キリストの回答から確認する。(なお、『マルコ福音書』の記載は次のサイトから引用する)。

 

ja.wikisource.org

 

(以下、上記サイトから『マルコ福音書』の第12章の28~31節を引用、各段を改行で分け、節番号は省略、また、強調は私の手による)

 ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。

 イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。

 心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

 第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。

(引用終了)

 

 つまり、キリスト教において求められる信仰は「神と隣人への愛」となる。

 

 ところで、この戒めは規範として機能しない。

 そのため、「いかなる場合にどこまでやらなければならないか」といった基準がない。

 その結果、要求される「神と隣人への愛」は無条件・無制限ということになり、「見返りがなくてもやらなければならない」といったようなことにもなる。

 神が人に対して無条件の愛を注ぐように

 

 この無償の愛のことを、キリスト教では「アガペー」と言う。

 そして、このアガペーキリスト教の最重要事項となっている

 

 

 この点、規範は「この場合はここまでやらなければならない」という基準が明確である一方で、「ある場合は、あるいは、これ以上はやらなくてもいい」という基準も明確である。

 前者は「義務」としても性質があるが、後者は「自由」としての性質をもつ。

 他方、規範でない場合、宗教的要求は極端・原理主義的になる

 その結果、キリスト教ではクリミアの天使ナイチンゲールアウシュビッツユダヤ人の身代わりとなって死んだコルベ神父、あるいは、マザー・テレサのような人間が現れた。

 これらの方々がなした行為はまさに「アガペーの実践」と言える。

 仏教が勧める善行・慈悲もこれらには負けてしまうであろう。

 

 このアガペーの教義、または、アガペーを実践した行為を見て、「キリスト教を博愛の宗教」と判断するのは相応の理由がある。

 

 

 ところが。

 歴史を見ればわかる通り、キリスト教徒ほど残虐をほしいままにした集団もない。

 このことは、中南米でスペイン人(カトリック)がアステカやインカ帝国を滅ぼし、財宝を奪い、先住民を殺戮しまくったこと、北米でイギリス人(ピューリタン)が先住民を迫害しまくったことが参考になる。

 また、黒人奴隷をあたかも商品のごとく扱った事実も加えてもいいかもしれない。

 この点、どの社会にも「奴隷」は存在した。

 しかし、ピューリタンの奴隷ほど悲惨な例はない。

 ピューリタンの奴隷は各世界の奴隷の中で最も「財産」として扱われたのだから。

 さらには、宗教改革から生じたキリスト教に新旧対立も追加してもいいかもしれない。

 

 これらを行為を実行した連中がキリスト教徒であること、集団としてこれらの行為が行われたこと(個人の暴走ではない)を見て、「キリスト教徒とはなんたる連中か」と考えることは全く不思議ではない。

 

 

 ところで。

 大航海時代キリスト教の宣教師からローマ法王にはこんな悩みが寄せられていた。

「異教徒は人間なりや?」と。

 もし、異教徒が人間ならば、異教徒に対する蹂躙をほしいままにすることはできない。

 イエス・キリストは「汝、殺すなかれ」と言っているから(『マタイ福音書』の19章18節)。

 逆に、異教徒が人間でなければ奴隷にしようが虐殺しようが問題ないことになる。

 そのため、良心的な宣教師からローマ教皇にこのような問い合わせがなされたのである。

 

 この点、この回答が当時の権力関係(パワーバランス)によって決まるということは十分ありうる。

 しかし、教皇が回答する場合、「宗教上の根拠」が必要になる。

 そして、この宗教上の根拠からキリスト教を理解することができる。

 そこで、ローマ教皇の答えの背後にある「宗教上の根拠」をみてみる。

 なお、ローマ教皇の回答の根拠は旧約聖書までさかのぼることになった。

 

 

 旧約聖書で最も有名な物語の一つに「出エジプト記エクソダス)」がある。

 つまり、エジプトの奴隷となっていたイスラエル人を救済するため、神はモーセ(ムーサー)を派遣し、ファラオ(フィルアウン)と交渉する。

 ファラオは奴隷となっていたイスラエルの民の解放を許可しないため、モーセは神の力を借りてさまざまの奇蹟を見せつけ、その結果、ファラオはイスラエルの民の解放を許可する。

 イスラエルの民はエジプトを脱出するが、気の変わったファラオは軍を派遣する。

 このとき、神は海を真っ二つに割ってイスラエルの民を救済した。

 その後、モーセイスラエルの民はシナイ山の麓にたどりつき、神は民に「十戒」を与える、、、といった物語である。

 

 

 この点、十戒が与えられた後、イスラエルの民が安住できる未開の土地にたどりついた、そして、その土地で幸せに暮らした、となれば、この話は「めでたし、めでたし」で終わったであろう。

 

 しかし、実際はそうはならなかった

 イスラエルの民はその後約40年間荒野をさまよい、モーセもその間に死亡する。

 というのも、イスラエルの民が目指した土地がカナン(パレスチナ)であったからである。

 

 イスラエルの民がカナンを目指したのはなぜか。

 この根拠は旧約聖書の『創世記』まで遡ることになる。

 つまり、イスラエルの民の祖先にアブラムという神を深く信仰していた男がいたところ、そのアブラムに対して神が与えると約束した土地がカナンであった(具体的な記載部分は『創世記』の15章)。

 この啓示によりアブラムはアブラハムという名前に改名した。

 そして、アブラハムの子孫がイスラエルの民ということになる。

 

 このカナンの地(現在のパレスチナ周辺)は近くに森もある穏やかな気候の土地である。

 また、東地中海に面しており交通の便も良い。

 つまり、住む土地の条件として好条件である。

 そして、祖先が神からもらった土地という条件も加わっている。

 そこで、イスラエルの民はカナンを目指した

 

 

 もっとも、好条件の土地だったカナンには既に先住民(異教徒)が住んでいた。

 イスラエルの民が「この土地は先祖が神から賜ったのだから住まわせろ、先住民は出ていけ」と言っても相手にされない。

 そこで、神はモーセの後継者にヨシュアを据え、カナンに入るように命じる。

 そして、ヨシュアらはカナンにあった先住民の都市をことごとく攻め滅ぼすことになる。

 その際、攻め滅ぼした都市の先住民を皆殺しにした

 

 これはヨシュア軍団が神の御心(命令)のままに行ったものである。

 このことを『ヨシュア記』の記載から確認する。

 

(以下、『ヨシュア記』の11章の11節から23節までの記載を引用、ソースは以下のリンクより、また、節の数字は省略、さらに、強調は私の手による)

 ヨシュアはこれらの王たちのすべての町々、およびその諸王を取り、つるぎをもって、これを撃ち、ことごとく滅ぼした。主のしもべモーセが命じたとおりであった

 ただし、丘の上に立っている町々をイスラエルは焼かなかった。ヨシュアはただハゾルだけを焼いた。

 これらの町のすべてのぶんどり物と家畜とは、イスラエルの人々が戦利品として取ったが、人はみなつるぎをもって、滅ぼし尽し、息のあるものは、ひとりも残さなかった

 主がそのしもべモーセに命じられたように、モーセヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりにおこなった。すべて主がモーセに命じられたことで、ヨシュアが行わなかったことは一つもなかった

 こうしてヨシュアはその全地、すなわち、山地、ネゲブの全地、ゴセンの全地、平地、アラバならびにイスラエルの山地と平地を取り、

 セイルへ上って行く道のハラク山から、ヘルモン山のふもとのレバノンの谷にあるバアルガデまでを獲た。そしてそれらの王たちを、ことごとく捕えて、撃ち殺した。

 ヨシュアはこれらすべての王たちと、長いあいだ戦った。

 ギベオンの住民ヒビびとのほかには、イスラエルの人々と和を講じた町は一つもなかった。町々はみな戦争をして、攻め取ったものであった。

 彼らが心をかたくなにして、イスラエルに攻めよせたのは、もともと主がそうさせられたので、彼らがのろわれた者となり、あわれみを受けず、ことごとく滅ぼされるためであった。主がモーセに命じられたとおりである

 その時、ヨシュアはまた行って、山地、ヘブロン、デビル、アナブ、ユダのすべての山地、イスラエルのすべての山地から、アナクびとを断ち、彼らの町々をも共に滅ぼした。

 それでイスラエルの人々の地に、アナクびとは、ひとりもいなくなった。ただガサ、ガテ、アシドドには、少し残っているだけであった。

 こうしてヨシュアはその地を、ことごとく取った。すべて主がモーセに告げられたとおりである。そしてヨシュアイスラエルの部族にそれぞれの分を与えて、嗣業とさせた。こうしてその地に戦争はやんだ。

(引用終了)

 

ja.wikisource.org

 

 まとめると次のようになる。

 

 神がヨシュアにカナンへの侵攻を命じた。

 ヨシュアは神の命じたままにカナンに侵攻し、侵攻した都市の先住民を皆殺しにした。

 

 つまり、カナンに住んでいた先住民虐殺の首謀者は神である。

 

 しかも、神は虐殺の手助けさえしている

 例えば、ヨシュア軍団がヨルダン川を渡って最初に攻略した都市がエリコであった。

ヨシュア記』ではエリコ攻略について次のように示している。

 

(以下、『ヨシュア記』の第六章から引用、節番号は省略、強調は私の手による)

 さてエリコは、イスラエルの人々のゆえに、かたく閉ざして、出入りするものがなかった。

 主はヨシュアに言われた、「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。

 あなたがた、いくさびとはみな、町を巡って、町の周囲を一度回らなければならない。六日の間そのようにしなければならない。

 七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて、箱に先立たなければならない。そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。

 そして祭司たちが雄羊の角を長く吹き鳴らし、そのラッパの音が、あなたがたに聞える時、民はみな大声に呼ばわり、叫ばなければならない。そうすれば、町の周囲の石がきは、くずれ落ち、民はみなただちに進んで、攻め上ることができる」。

 ヌンの子ヨシュアは祭司たちを召して言った、「あなたがたは契約の箱をかき、七人の祭司たちは雄羊の角のラッパ七本を携えて、主の箱に先立たなければならない」。

 そして民に言った、「あなたがたは進んで行って町を巡りなさい。武装した者は主の箱に先立って進まなければならない」。

 ヨシュアが民に命じたように、七人の祭司たちは、雄羊の角のラッパ七本を携えて、主に先立って進み、ラッパを吹き鳴らした。主の契約の箱はそのあとに従った。

 武装した者はラッパを吹き鳴らす祭司たちに先立って行き、しんがりは箱に従った。ラッパは絶え間なく鳴り響いた。

 しかし、ヨシュアは民に命じて言った、「あなたがたは呼ばわってはならない。あなたがたの声を聞えさせてはならない。また口から言葉を出してはならない。ただ、わたしが呼ばわれと命じる日に、あなたがたは呼ばわらなければならない」。

 こうして主の箱を持って、町を巡らせ、その周囲を一度回らせた。人々は宿営に帰り、夜を宿営で過ごした。

 翌朝ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱をかき、

 七人の祭司たちは、雄羊の角のラッパ七本を携えて、主の箱に先立ち、絶えず、ラッパを吹き鳴らして進み、武装した者はこれに先立って行き、しんがりは主の箱に従った。ラッパは絶え間なく鳴り響いた。

 その次の日にも、町の周囲を一度巡って宿営に帰った。六日の間そのようにした。

 七日目には、夜明けに、早く起き、同じようにして、町を七度めぐった。町を七度めぐったのはこの日だけであった。

 七度目に、祭司たちがラッパを吹いた時、ヨシュアは民に言った、「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜わった

 この町と、その中のすべてのものは、主への奉納物として滅ぼされなければならない。ただし遊女ラハブと、その家に共におる者はみな生かしておかなければならない。われわれが送った使者たちをかくまったからである。

 また、あなたがたは、奉納物に手を触れてはならない。奉納に当り、その奉納物をみずから取って、イスラエルの宿営を、滅ぼさるべきものとし、それを悩ますことのないためである。

 ただし、銀と金、青銅と鉄の器は、みな主に聖なる物であるから、主の倉に携え入れなければならない」。

 そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。

 そして町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした

 その時ヨシュアは、この地を探ったふたりの人に言った、「あの遊女の家にはいって、その女と彼女に属するすべてのものを連れ出し、彼女に誓ったようにしなさい」。

 斥候となったその若い人たちははいって、ラハブとその父母、兄弟、そのほか彼女に属するすべてのものを連れ出し、その親族をみな連れ出して、イスラエルの宿営の外に置いた。

 そして火で町とその中のすべてのものを焼いた。ただ、銀と金、青銅と鉄の器は、主の家の倉に納めた

 しかし、遊女ラハブとその父の家の一族と彼女に属するすべてのものとは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブは今日までイスラエルのうちに住んでいる。これはヨシュアがエリコを探らせるためにつかわした使者たちをかくまったためである。

 ヨシュアは、その時、人々に誓いを立てて言った、「おおよそ立って、このエリコの町を再建する人は、主の前にのろわれるであろう。その礎をすえる人は長子を失い、その門を建てる人は末の子を失うであろう」。

 主はヨシュアと共におられ、ヨシュアの名声は、あまねくその地に広がった。

(引用終了)

 

 ヨシュアがエリコの都市の攻略する際、神がヨシュアに手を貸していることが分かる。

 もちろん、他の場所でも神はヨシュアに手を貸している。

 これらの助けなくしてカナンの攻略はならなかったであろう。

 

 このように、エジプトから脱出したイスラエルの民は神の手助けその他によりカナンを手に入れた。

「手に入れた」際に、異教徒たる先住民を虐殺してまわったことは既に述べた通りである。

 なお、本書で一部しか書かれていない「ヨシュア記によって滅ぼされた都市」を全部掲げると次のようになる(以下、『ヨシュア記』の12章に記載のある滅ぼされた三十一の王を列挙)。

 

 エリコ、アイ、エルサレムヘブロン、ヤルムテ、ラキシ、エグロン、ゲゼル、デビル、ゲデル、ホルマ、アラデ、リブナ、アドラム、マッケダ、ベテル、タップア、ヘペル、アペク、シャロン、マドン、ハゾル、シムロン、メロン、アクサフ、タアナク、メギド、 ケデシ、カルメルのヨクネアム、ドル、ゴイイム、テルザ

 

 

 以上の旧約聖書の記載から旧約聖書における神の判断について何が言えるか。

 言えることは次のとおりである。

 

「異教徒は人ではない」

「異教徒の虐殺は正義なり」

 

 そして、キリスト教における神とユダヤ教における神は同一である。

 また、イエス・キリストは異教徒に対する博愛まで説いているわけではない

 この点、「異教徒に対して信仰を強制するな」と啓示したアッラーとは異なる。

 したがって、「隣人とは同じ信仰を持つ人に限る」という結論になる。

 

 以上より、異教徒を人と扱わず、何をしようが宗教上の問題はない、ということになる。

 新大陸における先住民に対する対応、黒人奴隷に対する対応もこの延長線上にある。

 

 

 この点、ユダヤ教の神、つまり、「旧約聖書の神」は、キリスト教の神、つまり、「新約聖書の神」と直接関連しないのではないか、同様に判断していいのか、という疑問はないではない。

 確かに、規範重視のユダヤ教から信仰重視のキリスト教になることで、契約の内容は変更された。

 しかし、奉じる神に違いはない。

 ならば、契約内容の変化とともに神の性格が変わったと考えることはできないだろう。

 よって、具体的な啓示もなく神の異教徒に対する態度が変わったと考えることは難しいことになる

 

 

 ここで本書では、パレスチナ問題について少し触れている。

 そして、旧約聖書(『ヨシュア記』)を通じて、現代のパレスチナ問題をみてみると、パレスチナ問題が極めて根深い問題であることを指摘している。

 

 本書には記載がないが、この辺の事情を確認する。

 なお、その際には次の本を参考にした。

 

 

 19世紀末、民族離散から約二千年、ロシアやヨーロッパで迫害されていたユダヤ人たちは現状の迫害を逃れるため、ユダヤ人国家の建設を考えるようになる。

 そして、ユダヤ人の富豪らはパレスチナの土地を所有する地主から土地を買い上げ、合法的にパレスチナへの入植を開始、浸透をはかる。

 というのも、パレスチナの土地を持っていたのはエジプトその他の大都市に住む不在地主だったことから、パレスチナの土地の購入が不可能ではなかったからである。

 もっとも、入植したユダヤ人が民族独自の文化に基づく社会を作ろうとし、原住民との融和をはからなかったことが、既に住んでいた人たちに不安を抱かせることになる。

 

 その後、二回の世界大戦や列強(特にイギリス)の思惑その他もあり、アラブとユダヤ人の対立が加速する。

 その結果、イスラエル建国とパレスチナ問題、幾たびもの中東戦争を引き起こすことになる。

 

 さて、この問題、解決が容易ではない。

 というのも、パレスチナ人・アラブ人から見れば、イスラエル人は旧約聖書のような行為をやるのではないか、だから信用できない、ということになる。

 これに対して、イスラエル人も「旧約聖書は過去のことだ。現代とは関係ない」と言うこともできない。

 言ったら最後、現代のイスラエル建国の大義も吹っ飛んでしまうからである

 こうやってみると、解決は極めて困難だと思わされる。

 

 

 以上、本節の3分の1についてみてきた。

 そういえば、和訳版のクルアーンは以前目を通したが、旧約聖書新約聖書は見ていない。

 一度、この辺りも見てみるべきなのかもしれない。

 

 次回は、ユダヤ教キリスト教イスラム教が奉じる神(ヤハウェイエス・キリストアッラー)について古代ユダヤ教をひもときながら見ていくことにする。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 7

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

7 「第1章_イスラムが分かれば、宗教が分かる_第2節」を読む(後編)

 前々回は仏教の戒律という宗教的規範についてみた。

 前回は日本が仏教の戒律や儒教の祭礼といった「規範」を骨抜きにしていく様子をみた。

 今回、この日本の規範の洗い流していく作用を「日本教」という観点からみていく。

 

 

 前回見たように、仏教と儒教は日本に上陸するや否やその規範(外面的な行為の制限)の部分が骨抜きにされてしまった

 ただし、このことは日本人が仏教や儒教の教え(教義)が嫌いであることを意味しない。

 というのも、論語は日本で大いに読まれている(た)。

 仏教用語にしても日常生活の中でたくさん使われている。

 論語を愛読し、仏教用語を日常生活に取り入れている集団が仏教や儒教を嫌いであると認定するのは少し無理があるだろう。

 しかし、戒律を守る仏教徒、祭礼を執行する熱心な儒教の信者になるわけでもない。

 

 日本社会・日本人から見た場合、重要なのは教え・信仰の部分であって、規範・行動の部分はやっかいな部分だと考える。

 だから、規範を捨てて信仰の部分だけつまみ食いしようとする。

 この日本人の宗教センスのことを「日本教」と呼んだのが山本七平であり、このブログで見てきたことである。

 

 なお、以上のことは、日本人を全体で見た場合、このような傾向があると述べているだけである。

 この現象のよしあしについて私は興味がない。

 視座を変えればどうとでも言えるからである。

 

 なお、この傾向は宗教だけではなく、技術にもみられる。

 この点に具体的に言及しているのが次のメモである。

 

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 では、日本教はどんなものか。

 日本教は日本固有の神道をベースに仏教・儒教などの教えをミックスさせて作ったものである。

 もちろん、ミックスされたのは仏教・儒教だけではない。

 例えば、中国の道教もそうである。

 このことは、道教の流れをくむ陰陽道の思想に由来する大安や仏滅といった六曜道教が起源となっている七夕や十二支といったものを利用していることからもうかがえる。

 さらに、日本人は、キリスト教信者でもないのに教会で結婚式をし、クリスマスを祝う。

 

 別の宗教・信者から見た場合、日本人のこれらの挙動が無茶苦茶に見える。

 彼らの視座に立ったらそうなるわけであるから、それを否定するのは容易ではない。

 もちろん、別の宗教・信者から見て「無茶苦茶だ」と言われても、「知らんがな」と言って突っ返せばいいわけだが。

 ただ、(他の宗教から見て)「なんでもあり」に見えるこの現象こそ日本教の特徴である

 

 

 もっとも、「なんでもあり」に見えるからといって、本当に「なんでもあり」なわけではない。

 それは現実を見れば明らかである。

 つまり、他の宗教と比較して「容認される基準の内容・明確性が大きく違う」に過ぎない

 このことは内村鑑三不敬事件のいきさつ(メモのリンクは次の通り)を見れば一発で明らかであろう。

 

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 ところで、ウェーバーの定義に従うならば、日本教日本教徒(日本人)の行動を基礎づけており、日本人独特の倫理道徳の観念の源泉にもなっている

 つまり、日本教は日本人らしさを基礎づけている原因、ということにもなる。

 とすれば、日本教にも良いもの、悪いものを決める基準や道徳律が存在することになる。

 その具体例が新渡戸稲造「武士道」である。

 

 しかし、日本教の場合、その道徳律はイスラム教や仏教のような規範にならない。

 ここが比較宗教社会学的観点から見た場合の日本教の決定的に重要な特徴になる。

 つまり、ユダヤ教イスラム教には外面的行為に関する厳格な規範がある。

 他方、仏教においても修行における外面的行為に関する厳格な規範があり、これを破ればサンガから追放され、修行の道が絶たれる。

 それに対して、日本教でもルールが一応存在するが、守った守らなかったの判定はかなりあいまいである。

 このことは宗教だけではなく法律の執行にも言える。

 法律の執行に関するメモへのリンクは次のとおりである。

 

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 以下、日本のルールの曖昧性(規範の弱さ)について食物規制を例にしてみていく。 

 まず、対比の観点からイスラム教の食物規制を見る。

 なお、ユダヤ教イスラム教の食物規制は絶対神の命令だからそのルールは厳格である。

 イスラム教において食べてはいけない食物のことを「ハラム」と言い、食べていい食物のことを「ハラル」という。

 

 この点、ハラルには牛・羊・ラクダ・ヤギなどの草食動物、ニワトリやカモなどの鳥が入る。

 しかし、これらの肉を食べる場合でもイスラム用の規範に従って処理されなければ食べてはいけない。

 この作法のことを「ザビハー」という。

 よって、イスラム教徒が日本で肉を食べる場合、スーパーの肉屋で買ってくるわけにもいかない。

「ザヒハー」によった作法によらない以上、食べてはいけない「ハラム」に属するからである。

 

 ところで、イスラム教には「ハラル」と「ハラム」という分類があると述べた。

 ただ、もう一つのカテゴリ、「マッシュブーフ」がある。

 マッシュブーフは「疑わしい」という意味の言葉がある。

 では、「マッシュブーフ」にカテゴライズされた食物は食べてもいいのか。

 これについては、「食べても罪にならない」・「敬虔なイスラム教徒は食べない」となる。

 

 このような第三のカテゴリを日本教徒が見ると、「厳格に二分されてないのに、『規範』とは片腹痛い」と考えるかもしれない。

 しかし、規範において大事なのは基準の明確性であって、規範の単純さではない

 そして、三つのカテゴリにおいて食べて罪になるのは「ハラム」だけであり、マッシュブーフの食物を食べても罪にならない。

 その点は明確であり、信者も安心して食べることができる。

 その場の空気で罪になったりなかったり、と言うことにならないことは明らかである。

 もっとも、食べないことが推奨されているだけで。

 

 このようなイスラム教の食物規定を見たうえで、日本の食物規制を見てみよう。

 イスラム教と対比してみるならば、「『ある』ともいえない、『ない』ともいえない」としか言えない。

 例えば、海外旅行を行って旅行先の名物料理を食べたら、あとでネコの肉だとわかったとしよう。

 この場合、「日本人としてあるまじき行為をした。もう私は救われない」と激しく後悔する人間はいないであろう。

 インドのセポイの反乱(インド大反乱)の発火点と対比すれば、その違いは明らかである。

 そして、このケースから考えると、「日本ではネコは規制されていない」と言えそうに見える。

 

 しかし、その一方で、「今日、私はペットのネコを食べた」と述べたとする。

 遠い人間がそのようなことをすればスルーされるかもしれない(最近なら炎上して社会生命が絶たれるかもしれない)が、親しい関係の人間に対してこんなことを言ったらただでは済まないであろう。

 とすれば、「ネコは規制されている」とも言いうる。

 というわけで、「よくわからない」以上の結論は出てこず、イスラム教やユダヤ教にあるような明確な規範は存在しないことになる。

 

 このことは徳川時代以前にもみることができる。

 例えば、平安時代以降、日本では仏教の影響で四つ足の獣を食べることが忌避されていた。

 しかし、厳格な規範として機能していたわけではない。

 例えば、イノシシは山鯨であり鯨の一種として食べることができた。

 また、兎は「一羽、二羽」と鳥として数えられていたので食べることができた。

 このように、兎やイノシシが例外とすることは規範から見てできないではない。

 しかし、江戸時代のモモンジ屋ではそれ以外の獣も食べられていた。

 もちろん、モモンジ屋は闇商売ではなく堂々と営業されていたものである。

 何故食べられたかというと、「薬だから」という理屈を立てたからである。

 この点、薬であろうが人体に有益であろうが獣であることに変わりはない。

「『獣でない』から食べてもよい」という理屈なら文言解釈の範囲として分からないではないが、獣であるが薬にしたから、、、という理屈は文言解釈の域を超えている。

 だから、この理屈はちょっと、、、ということになる。

 

 ちなみに、水戸藩徳川斉昭(烈公)の息子にして十五代将軍となった徳川慶喜は将軍になる前から豚肉好きであった。

 そして、そのことは広く知られており、それゆえ慶喜を嫌った人もいるらしい。

 もっとも、慶喜の豚肉食いは出世の妨げになっていない。

 

 

 以上、事実をみてきた。

 まとめてみると、「行為として食べることはできた。それを嫌う人もいた」となる。

 もっとも、明治時代に文明開化の鐘が鳴りだすや否や、肉食嫌いは一掃されてしまい、すき焼きは日本の代表的料理の一つにまでなる。

 これではわけわかめとなっても無理からぬことである。

 

 ただ、いくつかの抽象的な基準についてみることができる。

 そのうちの一つは「一つは規範は時代が決める」ということ、もう一つは「相手の個人・集団によって決まる」というものである。

 一神教をいただく宗教の規範から見れば、規範は神が創造するものであって、時代や権力者によって変えられるものではない。

 ましてや、一般人によって変えられるものでもない。

 ただし、日本教においては行動基準は時代と相手によると考える。

 そして、基準に該当するものがいわゆる「空気」(ニューマ)である

 これは儒教ユダヤ教イスラム教が一神教であることに対して、日本教多神教絶対神の不在)であることに対応するのかもしれない。

 一般人に行動基準を変える権限があると考えるためには「一般人も神(一神教ほどの絶対神ではないとしても)である」と考えざるを得なくなるので。

 

 

 このように見た場合、日本教キリスト教と同様、規範が弱いことになる

 その結果、信仰・内面を大事にするという意味でキリスト教日本教は非常に似たものになった。

 しかし、日本教キリスト教は決定的に異なる点がある。

 それが、キリスト教一神教であり、日本教多神教である、という点である。

 そして、この一神教多神教は相性が悪い

 

 

 この点、最澄が戒律を形式化・名目化するまで日本人は仏教をありがたがり、仏さまを拝んでいた。

 これができたのは神道のおかげである。

 具体的には、本地垂迹説のおかげと言うべきか。

 

 日本に入ってきた仏教が戒律を員数化することで日本独特のものになったという話は前回行った。

 これを支えた理論が天台本覚論という点も。

 ただ、もう一つ見ておくべきことがある。

 それは本地垂迹説である。

 本地垂迹説の導入と戒律の廃止の両方があったからこそ日本は変質をしつつも仏教が爆発的に浸透した。

 この本地垂迹説は法華経に由来する思想で「本地(根本の物体)より迹(具体的な形)をたれる」と考えるものである。

 

 この点、極めて単純化して考えた場合、仏教では形式論理学実在論を前提にしない。

 だから、「あるかないか二者択一」といった形式論理学は前提になってないし、「本当に存在するのは認識だけである」という発想が前提となる

 その意味で、ユダヤ教キリスト教イスラム教とは対極的である。

 そして、唯識論を前提として、形式論理学を排除していくと本地垂迹説が出てくる。

 この本地垂迹説においては、「釈迦が実在する」ではなく、「宇宙の真理を人間は釈迦の形で認識する」と考える

 この発想が日本に来て、「宇宙の真理(=仏教)が日本では神道の形で現れた」という発想になった。

 例えば、菩薩が日本において八幡神として認識される、とか。

 他にも例はたくさんある。

 これがいわゆる神仏習合である。

 もちろん、これは逆にもなりうるわけだが。

 

 さて、この神仏習合によって得をしたのは神道ではなく仏教である

 難解な仏教の教えを教える必要がなく、日本の神々は仏の成り代わりであると言ってしまえば、日本人は理解し、仏教の教え自体は受け入れてくれるのだから

 もっとも、そのように普及した仏教に対しては「果たしてこれは仏教なりや」という問いが突きつけられることになるとしても。

 

 

 以上の神仏習合の作法、この作法は江戸時代に儒教に対しても行われることになる。

 とすれば、キリスト教もこの戦術を使えばよかったのではないか、という疑問が浮かぶ。

 しかし、一神教であるキリスト教には容易ではない

 というのも、神道多神教だからである。

 もっとも、抜け道的にできなかったかと言われると、これまた微妙である。

 潔癖なプロテスタントならさておき、カトリック教会ならできたかもしれない、とは言いうる。

 なぜなら、キリスト教にはマリア信仰があるからである

 マリア信仰はキリストの母親に対する信仰ということになるが、これはイエス・キリストを唯一絶対の神と考えるキリスト教においては異端と言うしかない。

 事実、マホメットはマリア信仰に対して「愚かなこと」と述べている。

 しかし、カトリック教会は布教の方便としてマリア信仰を持ち出すことになる。

 

 ここで、キリスト教におけるイエス・キリストの実体に関する議論を確認する。

 第一に、イエス・キリストは人間の原罪を解除したとされている。

 よって、イエス・キリストは神でなくてはならない」ことになる。

 原罪を解除できるのは原罪を設定した神であり、人間には不可能だからである。

 もっとも、バイブルには「イエスはマリアという人間から産まれた」ことになっている。

 とすると、「マリアである人間に神が産めるのか」という問題が生じた。

 つまり、イエス・キリストは神なのか、人間なのか、といった宗教の核心部分に関する問題が生じ、4世紀、ローマ帝国で認められたキリスト教は大混乱に陥った。

 そのために、325年、ローマ皇帝コンスタンティヌス一世は「二ケア公会議」を開いて徹底的に討論し、イエス・キリストは神である。同時に、人間である」という結論を出した。

 この結論のことを「二ケア信条」といい、これを採用するか否かが正統と異端を分ける境界線となった。

 現在の正教・カトリック教会・プロテスタントも二ケア信条を採用している点では同様である。

 他方、当時、二ケア信条に異を唱えたアリウス派は異端として排除される。

 

 イエス・キリストに関する議論をめぐるごたごたはその後も続いた。

 451年のカルケドン公会議の開催、三位一体説の確立などにその点が表れている。

 もちろん、このような会議が開かれたのも、この問題を放置すればキリスト教が分裂しかねなかったからである。

 そうやって、キリスト教が安定させたのもつかの間、カトリック教会は中世以降、マリア信仰を布教の手段に持ち出すことになる。

 この点、マリアは人間であるから、マリア信仰は「キリストは神ではない(人間に過ぎない)」と述べたアリウス派よりもはるかにキリスト教からずれている、ことになる。

 しかし、従来から自然崇拝の信仰を持っていたゲルマン人ケルト人に対する布教手段としてマリア信仰は極めて有効な手段であった

 この点は「仏教の難解な教えを伝えるよりも、『日本の神々は仏や菩薩が自ら日本用にカスタマイズしたものである』と教えたほうが楽である」というと同様である。

 そして、この手段があったからこそキリスト教はヨーロッパや世界各地に広がることになった。

 もちろん、本来のキリスト教から見たらとんでもないことだとしても。

 

 以上のヨーロッパにおけるキリスト教拡大の歴史を見れば、戦国時代に日本を訪れた宣教師がマリア信仰を流用して本地垂迹説を使うことができた、と言えなくもない。

 比叡山に日本の秀才(天才ではない)が集まるならば、カトリック教会にはヨーロッパの秀才・天才が集まる。

 ならば、それぐらいの理論武装は朝飯前であろう。

 

 ちなみに、戦国時代の当時の記録によると日本人のキリシタンにとってはマリアの方が親しみやすかったそうである。

 このことはマリア観音像にも表れているといえる。

 

 

 なお、このようなことを述べると、真面目なキリスト教徒はお怒りになると考えられる。

 特に、プロテスタントの方々は。

 もちろん、このような方便は神に対する冒涜に他ならない。

 この点は、歴史の確認と思考実験としてお許しいただきたい。

 

 

 さて。

 色々見てきたが、「日本人の規範嫌いがイスラム教を阻む」根拠を参照してきた。

 つまり、日本教イスラム教は現在する著名な宗教の中でもっとも相性が悪いといってよい。

 徹底した一神教多神教という違い。

 さらに、規範に対する態度の違い。

 特に、イスラム教では「マホメットは人間である」としている。

 日本の儒教論語一本槍、つまり、孔子一本槍になったわけであるが、イスラム教において仮にマホメット一本鎗になったところで、世界からイスラム教とは認定されることはない。

 これは、現在、日本の僧侶が世界の仏教から僧と認定されないのと同様である。

 

 もちろん、「イスラム教めいたもの」の導入ならできるかもしれない。

 仏教から戒律を抜いたように、イスラム教から規範を抜いてしまうのである。

 しかし、イスラム教の法はアッラーが創造したもので、かつ、アッラーだけに変更権限があるものである。

 この点の徹底さは仏教よりも厳しい。

 日本だけで閉鎖しても構わないというならさておき、世界との連帯を築くのであればその道は仏教より困難であろう。

 他方、日本だけで閉鎖して構わないというのなら、出来上がるのはイスラム教ではなく、日本教イスラム派に過ぎないことになる。

 

 個人的には、「むぅーりぃー」としか思えない。

 ならば、相性の悪い点を十分に認識し、十分に理解した上で、一定の距離を開けたほうがよいと考えられる。

 少なくても、アラビア社会と日本は物理的に距離があり、イスラム教は「信仰の強制はしない」と述べているのだから。

 

 

 以上が本章のお話である。

 日本の「空気」・日本教に対する理解が歴史方向で深まった。

 その意味でこの本を読む価値があった。

 もちろん、イスラム教やその他の宗教に対する理解も深まったことも言うまでもないが。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 6

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

6 「第1章_イスラムが分かれば、宗教が分かる_第2節」を読む(中編)

 前回は日本人が宗教的規範としてイメージしやすい「仏教の『戒律』」についてみてきた。

 この点、「戒律」は仏教における宗教的な「規範」である。

 もちろん、同じ「規範」であっても規範が果たす「役割」は一神教とは異なる。

 

 そして、鑑真の日本渡航によって当時の日本において「受戒」の制度が整えられた。

 その結果、当時のグローバルスタンダードに照らして日本の仏教が一人前になった、ということを確認した。 

 

 

 しかし、平安時代から鎌倉時代にかけて、日本はこの受戒の制度や戒律を形式化・名目化・員数化していくことになる。

 この点、戒を定めたのが釈迦であることと、受戒が戒律のスタート・修行のスタートであることを考慮すれば、受戒の名目化は戒律の無視であり、釈迦が創案した仏教の無視と言われても抗弁できない。

 控えめな表現をすれば、「果たしてこれは仏教なりや」ということになるであろう。

 以下、日本の戒律を骨抜きにしていった経緯を確認する。

 

 

 まず、戒律の名目化は最澄から始まる。

 最澄比叡山延暦寺にて天台宗を開いた開祖である。

 この延暦寺は皇室の崇敬も厚く、また、天台宗から法然親鸞日蓮といった名だたる宗教者が出てきている。

 つまり、最澄が開いた天台宗延暦寺というのは日本における仏教の最高権威にして最高の修行機関・研究機関といってもよい。

 今の日本に例えれば、東京大学京都大学・・・いや、現在の東大や京大では比較にならないか。

 

 また、興味深いのは名目化をもくろんだのは時の権力者でも庶民でもなく、高僧だった、という点である。

 このことと次の文章を併せて読むと興味深い。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 まず、この最澄比叡山を開くにあたり従来の戒律制度を採用せず、新たな「円戒(円頓戒・大乗戒)」という制度に変更する。

 この円戒、従前の制度(いわゆる具足戒)と比較すると、内面の信仰を問うものが多く、外面的行動に関する規範が少ない。

 その結果、宗教的に見た場合に(従来と比較して)僧侶は自由な行動ができるということになってしまった。

 初期の仏教が労働はダメ、金儲けはダメ、酒はダメ、結婚はダメ、それでは生活ができないからサンガに入って、、、というのとは対照的である。

 

 さらに、最澄は受戒の儀式自体も簡易化した。

 従来の制度では、受戒の儀式において「三師七証」、つまり、三人の僧と七人の証人を必要としていた。

 もちろん、僧や証人になるにも一定の資格が必要になる。

 これに対して、円戒では一人の伝戒師がいればいい、あとは、釈迦・文殊弥勒の一仏二菩薩が証人になって下さるという。

 三師七証と比べればかなり簡略化されている。

 

 さらに、円戒においては戒律を破ったとしても、大きい制裁がない。

 この点、従前の、というか、日本以外の仏教においては戒律を破ればサンガからの追放という制裁がある。

 もちろん、サンガから追放された場合、復帰は不可能・修行も不可能である。

 他方、円戒の場合は、懺悔と再受戒による復帰の道を残した。

 破っても宗教的ペナルティがない、では、規範としての意味はないだろう。

 

 この点、「悟り(仏教における救済)のための手段」として釈迦がまとめたものが戒律である(戒が個人向け、律が集団向け)。

 また、釈迦が神ではないことを考慮すれば、戒律の変更はあり得ない話ではない。

 しかし、戒律を実質的に廃止してしまえば、それは、釈迦の教えや仏教の否定に等しい。

 これは、キリスト教が律法を廃止することでユダヤ教から決別したのと同様である。

 そして、これが「果たしてこれが仏教なりや」と問われた原因である。

 

 

 このように、従前の受戒から円戒に変更した最澄

 天台宗はこの制度を踏襲し続ける。

 ただ、新しい制度を作る以上、その制度を支える理論が必要になる。

 そこで、作られたのが「天台本覚論」である

 

 この天台本覚論の内容をワンワードにすると「人は迷ったまま、欲望をもったままでも仏になれる」ということになる。

 これも、「修行によって煩悩から解放され、煩悩から解放されることで仏になる」と考える従前の仏教とは大違いである。

 

 もちろん、天台本覚論は単なる思い付きで作られたものではない。

 各々の時代の最高の頭脳集団がよってたかって作り上げたものである。

 現在の御用学者とは比べ物にならない。

 いや、現在の学者のありさまから見れば、、、ということもあり得ないではないが。

 

 この点、天台本覚論のオリジナルは中国仏教にあった。

 仏教では、「人間の煩悩が人間の苦しみの原因となる。よって、煩悩を除去することで、苦しみが消えて仏になれる。煩悩を除去する手段が戒律によって定められた修行である」と考える。

 この考えに仏教の因果律の発想を適用する。

 何故、修行によって煩悩が解消されて仏になれるのか?

 本覚論の回答は、生き物(煩悩にまみれた人間)には悟る(救済される)ための要素をあらかじめ所持しているから、となる。

 人間に悟りの要素が最初から存在しないならば、修行をしても救済されないであろう。

 この「人間や生物には『悟りの要素』をあらかじめ持っている」と考えるのが本覚の発想である。

 

 もちろん、中国の本覚論は「悟りの要素がある=救済される可能性がある」でとどまっていた。

 つまり、「救済の可能性があるが、そのままで救済されるわけではない。だから、修行や善行が必要である」という従来の仏教の枠組みの範囲で考えていた。

 しかし、日本の天台仏教ではこの本覚思想を純粋化し、極限までもっていってしまった。

 その結果、「人間は悟りの要素がある」から「(迷いや煩悩のある)人間は既に悟った存在である」という発想になってしまった

 

 

 もちろん、天台宗の本覚論がいつ、誰が考えたのかは不明である。

 なにしろ、この本覚論は天台宗の奥義中の奥義であり、平安時代においては修行僧だけのものだったのだから。

 しかし、この思想が鎌倉時代に庶民に浸透し始める。

 その役割を演じたのが法然親鸞、そして、日蓮である。

 

 浄土宗の法然浄土真宗親鸞は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば救済される、他の修行や学問は要らない、それよりも阿弥陀仏にひたすらすがれと述べた。

 日蓮にしても「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えればいい、と述べた。

 文言は違えども、戒律や修行といったものが皆無である

 

 この点、法然親鸞日蓮もみな比叡山で修行している

 これらの俊英は天台本覚論を知っていたはずである。

 

 もちろん、本覚論と同様、阿弥陀仏信仰は中国にあった。

 しかし、「阿弥陀仏にすがれば、あとは要らない」とまでは言わない。

 修行の否定が仏教の否定になるからである。

 その否定をやってしまったのが日本の浄土宗・浄土真宗ということになる。

 

 

 ところで、ここで興味深いのが親鸞の妻帯である。

 親鸞は正式に妻を迎えた。

 もちろん、実質的に見て妻がいた(妾を持っていた)僧はいくらでもいたであろうが。

 当然だが、仏教の戒律は僧が妻を持つことを禁止している。

 

 では、彼は何故妻を持つことができると考えたか。

 その理由は「夢の中で聖徳太子が現れ、お許しになったから」という。

 これまたすごい話である。

 例えば、「夢で釈迦が現れて許した」と主張することは、十分ありうる話である。

 釈迦はクリエーターではないが、仏教の創始者であるのだから。

 ちょうど、マホメットが大天使ガブリエルからアッラーの言葉を賜ったように。

 

 しかし、仏教の観点から見た場合、聖徳太子は敬虔な在家信者に過ぎず、受戒もされていない。

 そのような方が許したからといって仏教から見れば何の意味がないだろう。

 これはエイブラハム・リンカーン大統領が奴隷を解放したからといって、それが宗教的に意味がないのと同様である。

 当然だが、聖徳太子は立派な政治家であっただろうし、また、仏教に対する造詣も深かったであろう。

 しかし、戒律の変更権限があるわけではない。

 

 

 以上のように、法然親鸞といった人たちは修行と修行を定めた戒律をなくしていった。

 もっとも、これは彼らが宗教的に見て(仏教から見て、ではないことに注意)堕落したことを意味するわけではない。

 彼らにも相応の事情があった。

 本書には書いていないが、最澄にしてみてもその辺は同様ではないかと考えられる。

 

 では、親鸞法然がそのように考えていった理由とは何か。

 それは、末法思想である。

 つまり、仏教では釈迦が入滅してからの1000年間を「正法」の時代、正法の時代の後は「像法」の時代が1000年間続き、その次に来るのが「末法」の時代と考えられていた。

 そして、「正法」の時代は教えに従う悟りが可能な時代、「像法」の時代はありがたい経典などが形だけで残り修行による悟りが開けない時代、「末法」の時代は教えがなくなり、修行者すらいなくなる時代、と考えられていた。

 この末法が始まる年が1052年とされていた。

 ちなみに、末法思想が浸透していたためであろうか、政界から引退した後の藤原道長は念仏を唱えまくっている(御堂関白記)。

 

 日本の1050年ころというと藤原道長の後継者、藤原頼通の時代である。

 なお、藤原氏の衰退は後三条天皇(母親が内親王で藤原一門ではない)から始まるとされているが、後三条天皇の即位が1068年である。

 また、前九年の役があったのも1050年ころである。

 つまり、このあたりから貴族政治にかげりができ、武士の台頭を予感させていたことになる。

 

 既に述べた通り、末法の時代は戒律が廃れ、戒律に基づく修行など不可能と考えられていた。

 ならば、戒律を守って修行するよりも仏にすがったほうが救済されるだろう、というわけである。

 その点においては、日蓮も大差ない。

 もちろん、日蓮親鸞と異なり妻帯もせず、禁欲的な生活を送っていた。

 しかし、これは日蓮の性格の問題に過ぎない。

 というのも、日蓮が残した文章には戒律めいたものがないからである。

 

 

 以上、鎌倉仏教において戒律が実質的に全廃されていくさまをみてきた。

 こうやってみると、鎌倉仏教とキリスト教は大いに似ていることが分かる

 パウロキリスト教)は「人間は原罪があるので、努力(行動)によって救済は得られない。神(イエス・キリスト)への信仰にすがれ」と述べた。

 親鸞日蓮は「時代は既に末法に入った。よって、自助努力による修行で悟り(救済)は得られることはない。阿弥陀仏(または、法華経の功徳)にすがれ」と説いた。

 見事な共通点ではないか。

 もっとも、このように考えるならば、日本の仏教は世界の仏教から決別していることになる。

 ユダヤ教からキリスト教が決別したように。

 もちろん、決別することとダメか否かという問題は別問題である。

 

 

 このように、仏教が持っていた戒律を洗い流してしまった日本

 もう一つ、見るべき外来宗教がある。

 それは、江戸時代以降盛んに入ってきた儒教である

 

 この点、儒教は宗教なのか」と考えるかもしれない(私も昔はそのように考えていた)。

 しかし、儒教は単なる道徳ではなく、立派な宗教である。

 その証拠に、儒教にも独自の祭礼があり、細かい規定がたくさんある。

 例えば、親が死んだら葬儀ではこのように泣けだの、涙はこう流せ、だの。

 あるいは、葬儀の終わったら、これだけの期間、このような生活を送れ、といった服喪規定だの。

 もっとも、普通の人が規範を守ることは容易ではない。

 だから、「哭き女」といった商売があるくらいである。

 このように儒教も宗教であり、その規範の体系が孔子のいう「礼」となる。

 

 ところで、「舜の服を着、瞬の言を唱し、瞬の行いを行えば、これ瞬のみ」と言い放った儒学者がいる(舜は儒教における聖人)。

 これは大袈裟であろうが、少なくても「礼」を守らなければ儒教における聖人にはなれない。

 その意味で、儒教は外形的行為が重視されていることになる。

 

 

 また、イスラム教・キリスト教・仏教と異なり、儒教は集団救済を目的とする

 その意味では、民族宗教たるユダヤ教に近い。

 そして、その集団救済の手段が政治である。

 つまり、儒教では「良い政治をすれば、天下は安泰になる。天下が安泰になれば、個人の生活は維持され、儒教における霊的秩序も安泰。だから、儒教では理想的な政治を行う聖人を生み出すことが重要」と考える

 個人の救済などかまってられない、というわけでもある。

 人間の数が多い中国ならではの発想であろうか。

 

 このことを裏付けるエピソードが「論語」に出てくる孔子顔回に対する態度である。

 顔回孔子のもっとも優秀な弟子である。

 その顔回が病に倒れた。

 優秀な弟子が病に倒れたとなれば孔子顔回のために看病する、高価な薬を届けるといったことをするのではないかと考えられる。

 しかし、孔子は特に何もしなかった。

 

 これに対して、孔子の薄情さをあれこれ言うことはできる。

 もっとも、孔子の行動は儒教から見れば王道をいっている。

 というのも、顔回がこうなった原因は政治にある以上、政治をどうにかしなければ意味がない、と考えるからである。

 

 なお、儒教は集団救済を目的とするが、この集団は「現在生きている人間」だけに限定されてないように考えられる。

 つまり、集団には現在生きている人間だけではなく、死んでしまった祖先を含む。

 それゆえ、魂と魄に分離している死んだ祖先に対する祭礼は重要事項になる。

 そして、その祖先の祭礼をつつがなく行うためには現在の社会の安寧が極めて重要であり、政治が重要と考える。

 逆に言えば、正しい政治は現在生きている人間を救い、同時に死者をも救う

 これが儒教の基本的な発想である。

 

 

 ところで、この儒教、日本に流入された結果どうなったか。

 確かに、江戸幕府儒教を奨励した。

 しかし、そこで奨励されたのは、教養としての儒教・道徳としての儒教であって、祭礼の部分ではなかった。

 このことは、儒教の教典のなかで「論語」ばかりが愛読されたことに象徴的に表れている。

 この点、論語孔子の言動録であって、規範性が薄い。

 また、宋以前の儒教において大事だったのはいわゆる「五経」、つまり易経」・「書経」・「詩経」・「礼記」・「春秋」の方である。

 というのも、規範や手段が示されているのはこちらの書物だからである。

 特に、「礼記」には古代の礼が示されており、これこそ規範の指針になっていた。

 それに比較したら、「論語」はサブテキストに近い。

 

 もちろん、その後の朱子学論語の地位を向上させた

 つまり、朱子学創始者たる朱熹五経に加えて、「論語」・「孟子」・「大学」・「中庸」を「四書」としてまとめた。

 とはいえ、論語だけが大事というわけではない。

 このことは科挙の対象が四書五経にあったことからも明らかである

 しかし、その儒教が日本に渡ってくると論語一本やりに変化した。

 儒教で重要とされる祭礼などどこ吹く風である。

 

 

 以上、仏教だけではなく儒教についても日本に規範が骨抜きにされていった。

 以下、この日本の特性が外国で起こした悲劇についてみていく

 題材は戦前の日韓関係である。

 

 日本の仏教が戒律を取っ払ってしまったのは既に話した。

 そして、日韓併合の折、その日本の仏教が韓国に流入し、戒律が機能している韓国で混乱を招くことになる。

 この点、明治時代の日本は政府が僧侶の結婚を許す、という状況になっていた。

 これについては、僧侶の結婚する権利の制限の禁止という肯定的な見方もできる。

 他方で、国家による宗教規範への介入、という否定的な見方もありうる。

 宗教サイドから見れば後者に傾くであろう。

 もっとも、規範に鈍感な日本ではこれが大きな問題とはならなかったが。

 

 さて、このシステムが日韓併合によって韓国で大問題を引き起こす。

 日韓併合において日本は極力日本と韓国を同等にしようと試みた(現実の結果はさておき)。

 そのため、日本で認められた僧侶の妻帯許可も韓国でも適用されることになった。

 戒律が機能している韓国仏教界で大混乱を招いたことは想像に難くない。

 

 当然だが、日本側に韓国仏教を壊滅される意図があったわけではない(戒律が有名無実化していた日本でそのような発想など最初からないだろう)。

 また、前述の肯定的な見方を軸に考えれば、「いいことをした」とさえ思っていただろうし、それを裏付ける相応の理由さえある。

 

 ところで、韓国併合当時の日本はアジアで唯一列強に仲間入りした国である。

 それがために、その日本を見習って妻帯する僧侶が出だしたので大問題。 

 韓国仏教界を二分する大騒動になった。

 

 さらに、太平洋戦争の敗戦によって悲劇は倍加する。

 というのも、韓国は独立するや否や、妻帯した僧を仏教界から追放していったからである。

 やむなく妻帯した僧たちは新しい寺院を作ったが、従前の仏教界は彼らを破戒僧扱いしている。

 もっとも、仏教の規範から考えれば当然の帰結としかいいようがない。

 

 もちろん、この件について「知らんがな」ということは自由である。

 また、この悲劇が日本の意図した結果であるとは言えない。

 しかし、日本の宗教オンチがどのような「意図せざる結果」を招くのかを知っておくのはよろしいかと考えられる。

 何故なら、イスラム教とキリスト教の争いなどに手や口を出すならば同様の悲劇、または、茶番を繰り返す可能性があるからである。

 まあ、日本人の能力その他を見れば、大国の後ろで黙っていたほうが国益的にも、あるいは、他国の利益から見てもいいのではないか、と考えられるが。

 

 本書では、日韓関係のねじれの原因として、規範意識の違いに起因するものに注目している。

 結論をワンワードで述べれば、純粋な儒教国家である韓国から見た場合、純粋な無規範国家たる日本ほど野蛮に見える国はないといったお話である。

 もっとも、これは日本と韓国に限った話ではないであろうから、割愛。

 というのも、山本七平が日米関係においてこれに似たことを述べていたからである。

 

 

 以上、日本が外来宗教の規範を形がい化させていくさまについてみてきた

 もちろん、私はこれらの現象の善悪についてはさほど関心がない。

 仏教から見れば、儒教から見れば、日本教から見れば、善悪の評価などどうとでもなってしまうからである。

 しかし、このように見ていくと、日本教における「空気」と「水」は最近の話ではないのだなあ、と考えさせられる。

 

 また、鑑真が日本にやってきたのが750年ころ。

 最澄が円戒を創設したのが810年ころ。

 その間は100年にも満たない。

 もろもろの合理的な事情・相応な事情があったとしても、100年未満で形がい化させてしまうとは、日本の雨はなんとおそろしいものであろうか。

 

 

 では、規範を骨抜きにする日本教・日本の雨とは何なのか。

 これについては次回以降にみていく。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 5

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

5 「第1章_イスラムが分かれば、宗教が分かる_第2節」を読む(前編)

 第1章の第1節では「規範」という観点からイスラム教・キリスト教ユダヤ教を見てきた。

 つまり、これらの宗教は「人格を有する唯一の絶対神」を信仰する点では共通する。

 しかし、「規範」という観点から見た場合、キリスト教ユダヤ教イスラム教は大きく異なる。

 ざっくり分けてしまえば、ユダヤ教イスラム教は規範が強く(あり)、キリスト教は規範が弱い(ない)。

 

 第1章の第2節のタイトルは「『日本教』に規範なし」

 つまり、この節の主役は日本である。

 というのも、前回の最後でイスラム教が日本に浸透しないのは日本社会が『規範』を嫌うから」という結論を示し、また、イスラム教における規範についてみてきてきたが、日本社会の規範に対する態度を見ずして上の結論の理解はできないからである。

 

 

 まず、「『規範』がある」と言えるための条件を確認する。

 重要な条件は「外形的行為を対象とすること」と「基準の明確性」である。

 つまり、内面に関することは測定できないので規範の対象にならない。

 また、判断する側(人間・集団)によって基準が異なれば明確とは言えず、規範の要件を満たさない。

 

 本書にない記載を追加すると、次の要件も軽視できないと言える。

 まず、イスラム教における規範の階層構造のように、「規範」を決定・修正する手続きもある程度明確に決まっていることが必要になる

 また、規範の維持を担保するための具体的手段も必要になる。

  

 以上より、規範それ自体や規範の決定方法が曖昧である、とか、規範を強制的に通用させる手段がない(弱い)場合、「規範はない(弱い)」ことになる。

 例えば、現実で参照されないマニュアルや規範があるだけでは「規範がある」ことを意味しない。

 山本七平氏の書物に関する読書メモに引き付ければ、「員数ではなく実質で判断する」ということになる。

 

 

 本書では、日本人が宗教的「規範」として頭に思い浮かぶであろう仏教の「戒律」から話が始まる。

 この点、戒律、つまり、戒と律はともに規範である反面、規範の目的が異なる。

 つまり、「戒」は悟りを得るための行動規範である。

 他方、「律」は出家者の共同体であるサンガにおけるルールである。

 だから、戒と律では戒の方が重要、ということになる。

 

 この戒、在家信者は5戒があるのみである。

 しかし、出家した僧は250条、女性の僧の場合は348条ある。

 また、戒を研究する学問(律宗)も存在する。

 これはイスラム法学者ユダヤの律法学者と同様である。

 

 

 以下、仏教の戒律を見ていくため、仏教のアウトラインをみていく。

 ただし、ここでは比較宗教社会学的観点でみていることを考慮し、仏教における一種の理想状態(単純モデル)で考える。

 

キリスト教イスラム教との対比」を念頭にしながら仏教をみると、「法(道徳法則)は釈迦がいなくても存在する」ということに気付く。

 つまり、仏教をワンワードで示せば「法前仏後」となる。

 このことから、仏教の教え・仏教の法は釈迦の教えに限るものではない、ということが分かる。

 

 つまり、瞑想していた釈迦は「社会に『法』が存在し、それゆえ『人の苦しみ』は存在する」ことを発見した。

 そこで、釈迦は「法を知ることで人間の苦しみを除去できる」と考えた。

 しかし、法は既に存在しているし、釈迦が法を創造したわけでもない。

 この点は、「自然を観察していて、アイザック・ニュートン万有引力の法則を発見した」というのと同じである。

 こちらもアイザック・ニュートン万有引力を創造したわけではない。

 

 その意味で、仏教は科学に近いと言える。

 また、一神教と同様に考えて「仏教=釈迦の教え」と考えることが正確ではないこともわかる。

 何故なら、一神教の世界では「法は神が創造したもの」であり、神がなければ法も存在しないと考えるからである。

 これをワンワードで示せば「神前法後」になる。

 

 

 では、一神教の「神前法後」と仏教の「法前仏後」の違いは何をもたらすか。

 まず、規範に対する姿勢が違う。

 神が法を作ったと考える「神前法後」の世界の場合、人々は規範を遵守しなければならない。

 規範を守らなければ、神の怒りを買い、民族は離散し、信者は地獄へ落される。

 だから、ユダヤ教徒イスラム教徒は規範を必死に守ろうとする。

 また、いわゆる規範のないキリスト教徒も信仰を維持しようとする。

 

 他方、仏教の法は科学法則のように存在するものであるから、「法を守るか守らないか」といった発想がない。

 これは「重力に逆らうから従うか」といった発想がないのと同様である。

 それゆえ、仏教の法は規範として機能しない。

 つまり、信者が戒を破ったら釈迦が怒り狂って鉄槌を下すといったこともない。

 この点は、「異教を拝んだソロモン王に対してヤハウェが鉄槌を下した。その果てに起きた悲劇がバビロン捕囚である」と考えるユダヤ教とは対照的である。

 

 

 以上を踏まえて、釈迦が発見した「法」についてみていく。

 では、釈迦が発見した「法」とは何か。

 その根底にあるのは「因果律」である

 

 概要を書くと次の通りとなる。

「法」(法則)によると、「人間の煩悩が人間の苦しみを生じさせる」

 したがって、人間の苦しみを除去させたければ、煩悩を除去しなければならない。

 その煩悩を除去する一つの手段が「修行」であり、修行内容を具体化したのが「戒」である。

 概要であるという事情を差し引いても明快である。

 

 以上から、仏教では救済(=苦しみからの解放)のための修行が重視された

 また、仏教においては僧の存在が不可欠、ということになる。

 つまり、いわゆる十七条憲法において「三宝」が登場するが、仏(釈迦)・法・僧の3つがなければ仏教は存在しえないことになる。

 

 この点をイスラム教・キリスト教ユダヤ教と比較してみる。

 まず、ユダヤ教イスラム教には仏教でいう修行僧のようなものは想定されていない。

 神の前の平等を考慮すればそのような特殊な人間は不要ということになるし、下手に修行僧を拝めば偶像崇拝になりかねない。

 では、キリスト教はどうか。

 イエス・キリストは何も言っていないから、いずれでも構わない、ということになる。

 よって、修道院などが存在してもは問題はない。

 当然だが、「僧のような身分の存在を許容すること」と「立派な人間を目指すことを推奨し、立派な人間を称賛すること」は関係ない

 

 

 さて、仏教において人間がその苦から解放されたいと考えた場合、修行生活が必要になる。

 そして、この修行の規範として釈迦が定めた内容が「戒」である。

 もっとも、修行に専念すると衣食住その他の問題がある。

 というのも、釈迦が草創したインド仏教では私有財産の所持・労働・投資(金儲け)などが禁止されていたからである。

 もちろん、これらのことが禁止されていた理由は、これらのものも飲酒や結婚と同様に煩悩がもたらすものであって、悟り(煩悩からの脱却)を妨げるものと考えられていたからである。

 そこで、修行者は修行集団たる「サンガ」に入った。

 サンガに入ることで修行者たる出家僧は修行に専念し、その一方で在家信者のお布施(寄付)に頼って生活していくことができるからである。

 もっとも、サンガは修行者の共同体だから共同体内のルールが必要になる。

 そこで、修行者集団の共同体を規律するために生まれたルールが「律」である

  

 このように仏教の戒律の由来を見ていくと、仏教とイスラム教の大きな違いが見える。

 つまり、戒は規範ではあるが、その目的は「悟りを開く」という修行者個人のための指針に過ぎない。

 よって、戒を破ったとしても釈迦が仏罰を下すといったものではない。

 また、サンガの規範である律を破ってもサンガから追放されるだけである。

 つまり、戒も律も破ったところで「悟りの道が閉ざされる」以上の制裁はない。

 その意味で、戒律は個人的なものである。

 だから、悟りを得たければ戒律を守ればよく、悟りを得る気がなければ戒律を守る必要はない、ということになる。

 俗社会と戒律には関係がなく、まして権力者が戒律を強要するといったものでもない。

 これに対して、イスラム教やユダヤ教の規範は神から人への命令である。

 よって、総ての人間が人間の意図によらず等しく規範を守る必要がある。

 それゆえ、宗教の規範がそのまま社会の規範に転化する。

 社会的規範として機能するかという点から見た場合、イスラム教やユダヤ教の規範と仏教の戒律は大きく異なることになる。

 

 

 なお、本書では「仏教による救済」についての補足があるから、それをみておく。

 仏教の救済の特徴に「無限に等しい時間が必要」という特徴がある。

 

 仏教の救済に時間がかかる理由は、因果律で考えていること・輪廻転生を肯定していること・過去や前世の悪行に関する事実は変更できないことに由来する

 そこで、仏教では修行の他に善行を勧めている。

 過去の事実・前世の事実は変更できないので、せめて現在と未来の善行で過去の悪行をキャンセルしていくしかない、というわけである。

 この発想を善因楽果という(この反対が悪因苦果)。

 

 ここで仏教における救済について確認する。

 仏教では修行と善行を積み重ね、煩悩から解放されることで仏になる。

 仏になることで煩悩と輪廻転生からのくびきからも解放され、涅槃に入る。

 この「涅槃に入る」ことが仏教における救済である。

 なお、この「仏になること」を「成仏」といい、「成仏」=「煩悩と輪廻転生からの解放」=「涅槃入り」=「仏教における救済」となる。

 

 ただ、この救済への道、途方もなく長い。

 なぜなら、輪廻転生を肯定し、かつ、この世の始めからカウントして無限に等しい時間が経過している(宇宙の誕生からカウントしたって約100億年もの時間がある、宗教的に見れば、これよりも長いことが想定される)ことを考えれば、既に積まれた悪行それ自体は並々ならぬものがあると考えられるからである。

 また、仏教では、善行をすれば救済への距離が近くなる一方、悪行をすれば救済への道が遠のくと考えられている。

 これを示すのが六道輪廻の考え方である。

 六道輪廻の考え方では、この世には天道・人間道・修羅道畜生道・餓鬼道・地獄道の六個の道(世界)があり、生前の行いが良ければ上の道に生まれ変わるが、悪ければ下の道に堕とされると考える。

 つまり、人間の場合、人間道という上から二番目の世界にいる分マシであり、修行・善行を積むことで天道に行けるかもしれない、とは言いうる。

 他方、一度天道に行ったところで、天道での努力が足りなければ再び人道やそれ以下の道にたたき落される可能性がある。

 その意味で安心することができない。

 

 本書では、仏の一歩前の弥勒菩薩が仏になるために必要な時間が紹介されている。

 この点、修行・善行を重ねに重ね、仏候補者集団に入るとする。

 大乗仏教ではこの仏候補者集団のことを菩薩といい、菩薩には41のランクがある。

 そして、その最上位の菩薩のことを弥勒菩薩という。

 弥勒菩薩は未来仏ともいうべきもので、仏になることが確定している菩薩である。

 しかし、弥勒菩薩が仏になるためには56億7000万年もの時間が必要、らしい。

 最後の関門が56億7000万年であれば、そこにたどりつくために必要な時間も推して知るべし、であろう。

 

 ちなみに、釈迦にしてもすぐに仏になって涅槃にいけたわけではない。

 仏教では、釈迦は過去においてたくさんの善行を行っていたと考えられている。

 例えば、飢えた虎のために自らを食料として与えた、兎であったころに客人をもてなすために火の中に自ら投じた、とか。

 もっとも、仏になれた釈迦でさえ「法」から自由だったわけではない。

 

 

 以上、「仏教における救済」についてみてきた。

 ここからは話を「戒律」を求めた人間・「戒律」を伝道した人間に移す。

 具体的に見ていくのは、法顕と鑑真である。

 

 法顕は4世紀の中国(東晋)の人である。

 子供の段階で出家し、以後、仏道修行を専らにしていた。

 だが、あるとき、法顕は中国にインド仏教で説いている戒律が完全な形で存在しないことに気付く。

 この点、仏典をざっくり分けると、釈迦の教えをまとめた経蔵、釈迦以後の学者が研究してできた論文である論蔵、修行者が守るべく戒律についてまとめた律蔵の3つに分けられる。

 そして、この3つがあって仏教の教理は完成する。

 ところが、法顕は中国に完備した律蔵がないことに気付くのである。

 完全な戒律、つまり、正しい戒律を知らないまま修行を続けたところで、悟りが得られる保証はない。

 逆に、自分たちの修行が無駄な努力になる可能性だってある。

 そのことに気付いて青ざめた法顕はインドへ飛び出そうとする。

 

 もっとも、当時の中国はいわゆる五胡十六国時代の大混乱の時代である。

 結局、法顕がインドに向かって旅立つことができたのは法顕が六十歳のときのことである。

 もちろん、当時の旅行の手段は原則として徒歩。

 さらに、道々には盗賊・山賊が跋扈していた。

 その意味で到底楽な道とは言えなかった。

 しかし、法顕はなんとかヒマラヤを越えてインドに入る。

 そして、念願のアイスソード、じゃない、律蔵を手に入れることになった。

 もっとも、海路で帰途についたところ、その船は暴風にあって難破、14年かかって戻ってくることができた。

 しかし、その段階で既に東晋は滅んでいたという顛末である。

 ただ、このエピソードは仏教における戒律の重要性を示している。

 

 

 戒律の重要性を示す著名な事実の一つとして鑑真の日本渡航がある。

 唐の高僧であった鑑真は日本に仏教を伝えるために渡航を繰り返したが失敗した。

 挑戦の途中で失明までした。

 にもかかわらず、日本渡航を諦めず、六度目の渡航で日本にやってきた。

 

 では、鑑真が「日本に行くこと」にこだわったわけはなぜか。

 ここで重要なキーになるのが「戒律」である。

 

 日本に仏教が伝来したのは聖徳太子厩戸皇子)よりも前の時代。

 既に200年近く経過している。

 その間、日本で仏教を信仰する貴族はたくさんいた。

 また、日本ではたくさんの寺は建立され、東大寺の大仏も建立されていた。

 しかし、戒律がなかった。

 戒律がないということは修行の方法を示したマニュアルがないようなものである。

 それなしで修行をして悟りを開けるだろうか。

 法顕が懸念した如く、無駄な努力で終わりかねないではないか。

 

 さらに、仏教の修行の第一段階で行うものとして「受戒」という儀式がある。

 受戒では師は戒律を与え、弟子(修行者)は戒律を守ることを誓う。

 もちろん、受戒がなければ戒律に基づいて出家したとは言えない。

 しかし、日本では仏教伝来以後、たくさんの経典が輸入されたものの、受戒の制度が導入されていなかった。

 これでは、日本の仏教が世界から認められなくても抗弁できない。

 

 そのような事情を知っていたから鑑真は日本の渡航を試みた。

 そして、日本も鑑真を大歓迎した。

 ときの孝謙天皇聖武天皇の娘・女帝)は鑑真に対して吉備真備(唐への留学経験がある超有能優秀な官僚)を勅使として派遣し、「以後、受戒のことはすべて大和尚(鑑真)に任せる」と伝えるほどであった。

 また、その後、東大寺で行われた受戒では聖武上皇孝徳天皇の父親)が参加するほどであった。

 

 鑑真が歴史上高く評価されている理由はここにある。

 鑑真によってようやく受戒の制度が整ったのだから。

 大日本帝国憲法制定や帝国議会の開催によって日本が近代国家として認められるようになったように、鑑真渡航と受戒の制度の完成によって日本の仏教が(海外から見ても)一人前となったのだから。

 

 

 以上、仏教における規範の「戒律」についてみてきた。

 そして、その戒律が日本に導入されるいきさつについても。

 しかし、日本はこの導入された戒律を有名無実化していくことになる。

 まあ、仏教が日本に伝来してから約200年もの間、受戒の制度が放置され続けたのは、日本が仏教の教義自体は歓迎しても戒律は歓迎しなかった、という事情があったのかもしれない。

 

 では、今回はこの辺で。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 4

 今回はこのシリーズの続き。

 

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『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

4 「第1章_イスラムが分かれば、宗教が分かる_第1節」を読む(後編)

 前回はイスラム教が日本に浸透しない原因を見ていくために、イスラム教について「規範」の観点から見てきた。

 つまり、イスラム教においては前述した六つの内容を内心で信じている(疑問を持たない)だけではダメで、五つの行為を実践する義務がある(最後の巡礼は自発的義務ではあるが)

 また、イスラム教を奉じる社会(イスラム社会)では宗教に基づく「規範」と「規範による社会運営」ががっちりできていることがわかる。

 

 

 以上の観点からキリスト教をみてみる。

 すると、キリスト教には「規範」がないことが分かる。

 もちろん、規範の有無と教え(教義)の素晴らしさが無関係であることは当然の前提である。

 

 この点、「ばんなそかな」と考えるかもしれない。

 しかし、キリスト教のバイブルなどから重要な言葉を出してみる。

 例えば、「狭き門より入れ」・「人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ」・「汝らの敵を愛し、汝らを責めるもののために祈れ」といった言葉を出す。

 これらはこれまでの「規範」と言いうるであろうか。

 答えはノーである。

「狭き門」とは何か、「入る」とは何か、「敵」とは何か・・・。

 また、福音書の記載が曖昧であり、あるいは、存在しない場合、具体的な規範(基準)をどのように決定するのか。

 さらに、バイブルの次の法源は何か。

 そういった基準もない。

 

 この点、イエス・キリストのこれらの言葉は「心構え」としては十分成立する。

 でも、遵守と違背の境界が不明確である以上、「規範」にはならない

 

 

 このように見ることで、キリスト教イスラム教の差が見える。

 キリスト教にはイスラム教のような強固な規範がない。

 もっとも、キリスト教に規範がないのは、キリスト教ユダヤ教から生まれた宗教であり、かつ、ユダヤ教の規範を否定することで生まれた宗教であることに起因する。

 そこで、キリスト教を見る前にユダヤ教ユダヤ教の規範について確認する。

 

『日本人と組織』(今回と関連する読書メモは次のとおり)で見てきたが、ユダヤ教は契約宗教である。

 

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 そして、ユダヤ教における法源、つまり、「規範」の基準となっているものとして、「トーラー」と「タルムード」がある。

 この点、トーラーは神(ヤハウェ)が預言者モーセに与えた契約の内容である。

 ヤハウェモーセに与えた契約のうち、重要なものとして「十戒」がある。

 しかし、具体的に与えたものは「十戒」だけではない。

 十戒と同時に詳細な規定をも与えている。

 これは十戒を規範として機能させるための当然のことである。

 

 本書では具体例として、神に礼拝する際の規定の一部が挙げられている。

 極めて詳細であり、日本教徒からするとうんざりする長さである。

 しかし、「規範」として機能する、つまり、基準を満たすか満たさないかを具体的に判定しようとしたら、こうならざるを得ない。

 あるいは、社会的妥当性を失って破綻して、地上から消え失せるかの二者択一である。

 

 また、日常の生活を規範で管理しようとした場合、詳細な規定が必要となる。 

 そこで、できたのが「タルムード」である。

 このタルムードというのは、ユダヤ教の律法学者(イスラム教でいう法学者)が「ミシュナ」という昔から伝わる口伝をまとめて、学者の議論と解釈を加えて出来上がったものである。

 このタルムード、ものすごい分量になる。

 例えば、バビロニア版タルムードというもの二百五十万語以上もあるらしい。

 しかし、これだけ膨大な規定であっても、日常生活を規律するには十分ではない。

 そこで、ユダヤ教も様々な法源を用いて結論を出すシステムができている。

 ちょうど、イスラム教がたくさんの階層の法源コーラン・スンナ・イジュマーその他)を用意しているように。

 

 

 以上、ユダヤ教と規範の関係についてみてきた。

 このようなユダヤ社会で出現したのが、イエス・キリストである。

『日本人と組織』で見てきた通り、イエス・キリスト預言者として振る舞ったが、その振る舞いは律法学者から見て到底容認できるものでなかった。

 例えば、イエス・キリストとその一派がユダヤ教のタルムードの定めに従わなかった際、イエス・キリストはパリサイ人からの追求に対して安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」と返答したと言われている。

 この返答、アニミズムにしてパンティズムの日本教徒が普通に言いそうな発言だな、という感じがするが、それはさておき。

 このような神の規範たる律法を無視して、律法を破る行為がユダヤ社会を刺激したのは間違いない。

 イエス・キリストは十字架にかけられることになる。

 

 この点、福音書その他を見る限り、イエス・キリストの意図は不明である。

 律法を完全に廃止する意図だったのか、あるいは、律法を修正する意図だったのか、 

 

 

 さて、律法の相対化(否定)により十字架にかけられたイエス・キリスト

 その後、キリスト教が発展したのはパウロの時代に入ってからである。

 このパウロキリスト教を発展させたのであり、パウロなくしてキリスト教はない。

 パウロはパリサイ人であって、最初は律法に忠実なキリスト教徒の迫害者であった。

 ところが、あるときに回心して熱心なキリスト教の伝道者となる。

 そして、最終的にローマ皇帝ネロに処刑されることになる。

 

 パウロは律法について「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰による」と述べた。

 つまり、「規範に基づく行動によって人は(宗教的に)救われない、大切なのは行動ではなく信仰である」と述べたのである。

 これによりキリスト教の本質から規範が消え、ユダヤ教から独立することになる。

 

 では、このパウロの結論の理論的根拠(宗教的根拠)は何か。

 それが「原罪論」である。

 いわゆるアダムとイブが禁断の木の実を食べて神の怒りを買って、その結果、楽園から追放されるという「楽園追放」の物語である。

 

 旧約聖書の楽園追放の物語はユダヤ教においても当然の前提である。

 しかし、ユダヤ教では伝説かおとぎ話のように考えており、あまり重視されなかった。

 それに対して、この楽園追放に光を当て、キリスト教の中心に据えたのがパウロである。

 

 パウロが考えた理論は次のとおりである。

 楽園追放の物語にあるとおり、人間は原罪を背負っている。

 つまり、人間は不完全な存在・必ず悪をなすような存在である。

 したがって、欲望に負けてしまい、律法が守られることはない。

 それゆえ、真摯に神を信仰し、神による救済を祈るようになる。

 この点、神が人間に律法を与えたのは、人間に律法を守らせるためではなく、律法を守ることのできない状況を可視化することで、自分の原罪を思い知らせ、その結果、真摯に神に信仰するためである、と。

 だから、「律法を守る」といった外面的行為それ自体には意味がなく、「神(イエス)への信仰、自己の原罪への強い自覚」にこそ意味がある、と。

 

 このように考えることで、キリスト教ユダヤ教と決別することになる。

 パウロキリスト教を作ったというのはこのような背景があるからである。

 

 このパウロの発想、日本教徒がよく使う「具体的なルールに意味はない、大事なのは魂・精神である」という言葉と親和性がある。

 この辺は興味深い。

 

 

 さて。

 啓典を信仰の基礎に置くユダヤ教(トーラー)、キリスト教(バイブル)、イスラム教(クルアーン)。

 その中で、キリスト教と他の二者とは大きく異なることになる。

 シンプルに言えば、キリスト教は「信じる者は救われる」という宗教である。

 ユダヤ教イスラム教と比較したら、いや、仏教や儒教から見ても仰天するような発想である。

 具体的な行動が必要ないのだから。

 もちろん、「何故、信じる者は救われる」と言えるのか、その理由が気になる。

 パウロの回答は、「人間は原罪を負っている、しかし、イエス・キリストが十字架にかけられることで、その原罪がキャンセルされた。だから、我々は神の万能を称え、神を信じなければならない」だそうである。

 本書では「わかったような分からないような」と評している。

 

 ここで本書から少し離れる。

 この発想に似た宗教が日本にある。

 それは浄土真宗である。

 かなり単純化してしまうと、両者には次のような共通項がある。

 

・人間が不完全で罪深き存在である、という前提

・その不完全な人間を救済してくれる超越者(イエス・キリスト阿弥陀如来)の存在

・その救済対象への信仰

・自力の否定

 

 この点はあとで触れることになるだろうから、ここではこの辺で。

 

 もちろん、キリスト教のこの説明に対して突っ込みをいれることはできる。

 例えば、「原罪から解放された」と言えるなら、何故、現在の我々は不完全なのか。

 あるいは、我々は感謝する(信仰する)必要があるのか、などなど。

 現に、明治時代の代表的なクリスチャンの内村鑑三キリスト教のこの奇妙さを実感し、それを認める旨の発言をしている。

 

 ただ、キリスト教ローマ帝国の迫害にもかかわらず世界中に広がった。

 さらに、キリスト教は近代文明の基礎となり、資本主義・自由(立憲)主義・民主主義といった現代のシステムの要になっている。

 この辺については既にこれまでの読書メモで見てきたとおりである。

 

 

 以上、イスラム教やキリスト教と「規範」との関係についてみてきた。

 ここで、話は一段抽象化させ、「『宗教』とは何か」についてみていく。

 

 イスラム教・ユダヤ教といった宗教には規範がある。

 そして、規範は人間に一定の行為(作為)を要求する。

 つまり、宗教は人間の行動を規律する。

 この部分から考えると、「宗教はエートス(行動様式)である」という結論が出てくる。

 例えば、ユダヤ教徒なら豚肉を食べない。

 イスラム教徒なら1日5回の礼拝を行う。

 儒教徒ならば君に対して忠、親に対して孝であろうとする。

 

 このように宗教であれば、独特の道徳律がある。

 その結果、各宗教の信徒は独自のエートス(行動様式)をもたらす。

 そして、イスラム教はそれが最も徹底していることになる。

 つまり、外面的行為を見ることで、その人がイスラム教徒か否かが分かる、というわけである。

 

 

 ここから話を江戸時代の「踏み絵」に移す。

「踏み絵」とは、キリスト教でないことを証明・確認するために庶民にイエス・キリストの絵などを踏ませるといった行為のことを指す。

 本来のキリスト教から見た場合、踏み絵は宗教的規範と関連するか。

 シンプルに考えればノー、ということになる。

 前述したとおり、信仰と行為を切り離したのがキリスト教なのだから。

 行為と信仰を切り離せたからこそ、キリスト教ローマ帝国の弾圧をはねのけられたのだから。

 だから、教義の原点に返って考えれば、踏むことを拒否しなくてもいいし、踏むことに良心の呵責を覚える必要もなかった、ということになる。

 もっとも、イスラム教の場合はこうもいかない。

 イスラム教に規範がある以上、礼拝を拒否することはできないからである。

 よって、隠れキリシタンであることは可能であっても、隠れムスリムであることは不可能、ということになる。

 

 

 ただ、現実を見渡せば、キリスト教にも「規範」があるように見える。

 例えば、現在(令和4年)、中絶の権利にまつわる問題はアメリカ合衆国を二分する大きな宗教的問題・憲法問題となっている。

 また、カトリックは堕胎や離婚を禁止している。

 さらに、修道院では厳しい戒律(規範)に従って禁欲的な生活を送っている人々がいる。

 これらは「規範」ではないのか。

 

 この点、堕胎の禁止・離婚の禁止は、宗教を根拠とし、外形的な行為が対象で、明確な基準が存在することを考慮すれば「規範」である。

 ただ、これらの規範を作ったのは修道院や教会であって、啓典(聖書)から必然的に発生する要請ではない、いうことになる。

 キリスト教が信仰のみの宗教と考えた場合、本来、教会のような組織はいらない。

 というのも、大切なのは信仰であって、行為ではないからである。

 

 ちなみに、カトリック教会の都合とキリスト教の本質との乖離を問題にしたのが、マルティン・ルターらの宗教改革者である。

「免罪符にせよカトリック教会の儀式にせよ、本来のキリスト教や聖書とは関係ないじゃないか」と批判してキリスト教を本来の姿に戻そうとしたのが、宗教改革の始まりであり、プロテスタントの始まりである。

 この点も修道院についても同様である。

 

 

 以上、規範とキリスト教イスラム教について色々見てきた。

 ここで、「日本にイスラム教が何故浸透しないのか」という問題に戻る。

 その答えは「規範」にある。

 日本の通常性(山本七平の言うところの「酵素」、内村鑑三のいうところの「雨」)は規範を形がい化して名目化させてしまう作用があるところ、「規範そのもの」ともいうべきイスラム教は日本の通常性(規範の形がい化作用)と共にはじきとばされてしまうのである。

 

 といっても、今一歩ぴんと来ないであろうし、反論もあるだろう。

 そこで、次節から、「日本が宗教などの持っている『規範』をどれだけ骨抜きにしてきたか」ということをみていくことにする。

 

 

 以上が本節のお話。

 日本が「規範」を骨抜きにしてきたという話は「『空気』の研究」でみてきた。

 それが次節から歴史的に見ることができるわけである。

 これは楽しみである(といっても、私は既にこの本を読んでいるわけだが)。

 

 あと、本書で、キリスト教は無規範宗教・イスラム教は規範宗教」という形で対比した。

 世界の三大宗教の二つをこのような二項関係で見るのは非常に興味深い。

 あたかも、古典派とケインズ派の関係と言うべきか。

 とすると、「キリスト教イスラム教」と「仏教」を見た場合、なんらかの二項対立があるのだろう。

 その辺は興味があったら自分なりにみてみたいと考えている。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 3

 今回はこのシリーズの続き。

 

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『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

3 「第1章_イスラムが分かれば、宗教が分かる_第1節」を読む(中編)

 前回、イスラム教(社会)の爆発的・世界的発展について、その発展にもかかわらず日本にはイスラム教が浸透しない点についてみてきた。

 今回はその原因について、イスラム教の教え以外の事情からみていく。

 

 

 第一の原因として「イスラム教側に布教の意思がない」という点が考えられる。

 この点、大航海時代キリスト教宣教師の行動に見られるように、キリスト教には世界にどんどん布教していく意思があり、かつ、行動もしている。

 他方、民族宗教であるユダヤ教には世界に布教していくといった意図はない。

 つまり、総ての宗教に世界に布教していく意図があるわけではない

 そのため、「イスラム教にも世界へ布教していく意図がないのではないか」と頭に浮かべること自体、ないわけではない。

 しかし、歴史を見ていく限り、イスラム教は世界への布教していく意思をもった宗教である。

 だからこそ、イスラム教がアラビア半島をまとめて100年もしないうちにあれだけの広大な版図を手にし、世界各地にイスラム教が広がることになるのである。

 よって、世界に積極的に布教していくスタンスを持っている点ではイスラム教とキリスト教は同様である。

 

 この点、布教のスタンスについて異なるのが仏教である。

 もちろん、鑑真や蓮如など例外的な存在はあるが、原則論から見た場合、仏教は「来るものは拒まず、去る者は追わず」のスタンスである。

 つまり、仏教は、真理は与えられるものではなく自らが求めるべきものであるという点、「釈迦の悟りを知りたいものはウェルカムだが、知りたくない人間を無理やり改宗させるといったことはしない」という点がある。

 その点はキリスト教イスラム教と異なる。

 

 

 次に、「日本は極東の海の果てにあり、ユーラシア大陸から隔てられていたのでイスラム教が届かなかった」という原因が考えられる。

 確かに、アラビアを中心にして世界地図を見ると日本は世界の東の果て(極東)にある。

 しかし、この地理的状況はヨーロッパのキリスト教とアラビアのイスラム教とで大きな差があるわけではない。

 しかも、アラビア商人はインド洋や地中海を中心に大活躍をしていた。 

 つまり、イスラム社会はヨーロッパ社会に負けない十分な航海術を持っていたわけである。

 よって、技術的に見た場合、キリスト教徒がたどり着けた日本にアラビア商人がたどり着けなかったということは考えづらい。

 

 また、戦国時代末期の南蛮貿易が行われていたころ、日本人が海外に出かけていって、日本人町を作るといったこともあった。

 当時の海外で活躍した人間として山田長政がいる。

 とすれば、海外に出かけた日本人が東南アジアで活動しているアラビア商人と接触し、イスラム教を知った人間もいたのではないか、そんな中でイスラム教に入信した人間がいたのではないか、とも考えられる。

 しかし、実際のところそのような形跡はほとんどない。

 

 

 以上、布教の意思・地理的条件の点をイスラム教の浸透しない原因として求めることが弱いことが分かった。

 そこで、次に考えられる理由になるのが言語の壁である。

 

「言語の壁」とは何を意味するのか。

 簡単に言うと、アラビア語以外のクルアーンコーラン)の存在を認めない」点をさす。

 

 この点、クルアーン「大天使ガブリエルが『アッラー(唯一の神)の教え』としてマホメットに伝えた言葉」をまとめたものである。

 マホメットの言葉がまとめられているのはクルアーンではなく「スンナ」である。

 この「スンナ」は重要な書物ではあるが、「宗教上の啓典」ではない。

 というのも、イスラム教においてマホメットは「預言者」という(ただの)人間に過ぎないからである。

 よって、神の言葉が並べられた「クルアーン」と預言者(人間)の言葉が並べられた「スンナ」は同列に並べられていない。

 この点は明快である。

 

 そのクルアーンにはこのように書かれている(具体的な場所は「十二の二」)。

 

(以下、本書にあるクルアーンの訳の部分を転載、転載されている訳の原著は前述のとおり)

 いま我らがこれを特にアラビア語クルアーンとして下すのは、なろうことならお前たちにも分からせてやろうと思ってのこと

(引用終了)

 

 この点、「我ら」というのは神が自分を指す人称代名詞である。

 そして、ここで大天使ガブリエルはアラビア語マホメットで語りかけている。

 つまり、「アラビア語」であることに特別な意味があることとなり、逆に言えば、クルアーンアラビア語でなければならない、ということを意味する。

 

 もちろん、クルアーンを日本語などの別の言語に訳されたものは存在する。

 しかし、翻訳されたそれらはせいぜい参考書であって、クルアーンそれ自体ではない。

 この点は、英語版の聖書や日本語版の聖書を認めるキリスト教とは異なる。

 

 つまり、イスラム教徒になるならばアラビア語の習得は必須、ということになる。

 ここで言う「言語の壁」とはそのような意味である。

 

 では、「言語の壁」という理由は日本に浸透しない理由として妥当であろうか。

 この点、異国の言語を学ぶことが大変なことは日本に限られない点を考慮すれば、言語の壁のハードルが高ければイスラム教はアラビア社会の外側に普及しないことになる。

 しかし、現実ではイスラム教は世界に拡大した。

 また、アラビア語母語としないイスラム教徒であってもクルアーンが読誦できれば足りるのであって、アラビア語母語のように使いこなせなければならないわけではない点を考慮すると、ハードルが高いとも言い切れなかろう。

 よって、これも理由として弱いことになる。

 

 この点、「日本人は世界と比較して異国の言葉を習得する能力が低い」という見解もある。

 しかし、天正遣欧使節としてバチカンを訪問した少年たちはラテン語をマスターしたし、江戸時代には庶民だったにもかかわらず日米の架け橋になったジョン万次郎という例もある。

 本書によるとこの点を強調するのも妥当でない、という。

 

 

 以上、イスラム教の教えと関連性の乏しい事象を理由にして日本にイスラム教が浸透しない理由を考えてみたが、どれも理由としては弱い。

 そこで、日本人とイスラム教の教えの相性の悪さが原因ではないか、と考えていくことになる。

 つまり、イスラム教の教義の何かを日本人が嫌ったことになる。

 以下、その「何か」についてみていく。

 

 そして、相性のよしあしを見ていくためには、イスラム教の教えと日本社会の双方を見ていく必要がある。

 以下、イスラム教の教えについてキリスト教やその他の宗教と対比しながらみていく。

 さらに、ここでは「ある程度単純化した上で」見ていくことにする。

 その方が理解しやすいし、本質をつかめるし、ある種の単純化・抽象化は学問的手法の基本だからである(単純化・抽象化による効用については次のブログメモなど参照)。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 

 まず、キリスト教イスラム教の共通項を列挙してみる。

 

・それぞれ唯一・絶対の神を信仰する一神教である点

・信仰の基盤に聖書がある点

旧約聖書の記載(神の世界創造、アダムとイブの楽園追放、ノアの洪水、モーセらのエジプト脱出と十戒を神から戴いたこと)を事実(真実)と考える点

 

 では、両者の決定的な違いは何か。

 それは「規範」の存在である。

 イスラム教は規範があり、キリスト教には規範がない。

 とすれば、「規範」をイメージだけで考えてしまい、「規範」の定義・存否の要件を明確にしないと、この点が理解できない。

 そこで、これから「規範」の定義・存否の要件を明らかにする。

 

 

 ここで言う「規範」とは何か。

 絶対的条件として「規範を遵守したのか違背したのかが判定できなければならない」

 そのためには、基準の明確性と対象の客観性の二つが必要になる

 基準が明確でないと遵守と違背の区別ができないし、対象の客観性がないと遵守と違背の判定が不可能だからである。

 その結果、規範の対象は人の外面的(客観的)行為に限られることになる

 

 この点を考慮しつつ、イスラム教を見てみる。

 イスラム教の信者が負う基本的な義務として「六信五行」というものがある。

 つまり、六個のことを信じる義務と五個の行いをなす義務があるわけである。

 この点、六信における六つの事項は「神(アッラー)」、「天使(マラク)」、「啓典(キターブ)」、「預言者(ナビー)」、「来世(アーキラット)」、「天命(カダル)」を指す。

 つまり、これら六個に関する具体的な事項についても疑いを挟んではならない。

 

 そして、六信の他に大事になるのが五行である。

 つまり、六つの事項について信じる(疑いを持たない)だけではダメで、五つの行いを実践しなければならない。

 五つの行いとは信仰告白(シャハダ)」、「礼拝(サラート)」、「喜捨(ザカード)」、「断食(サウム)」、「巡礼(ハッジ)」である。

 

 ここでは、規範の観点からこの五行を見ていこう。

 

 まず、五行の一つ目が「信仰告白(シャハダ)」である。

 つまり、心のうちで信仰しているだけではダメで、外部に対して信仰していることを表明しなければならない。

 この信仰告白は行為であるから「規範」になる。

 

 次に、五行の二つ目が「礼拝(サラート)」である。

 イスラム教徒の生活は礼拝と共にある。

 つまり、1日5回、決まった時間(夜明け、正午、午後、日没、夜半)にメッカの方角に向かって定められた手順で礼拝をおこなう。

 礼拝の時間と作法が決まっている観点から見れば、これも「規範」である。

 

 さらに、五行の三つ目が「喜捨(ザカート)」である。

 この喜捨(施し)、仏教の場合と異なって、宗教上の義務である。

 また、その方法も具体的に決まっている。

 これまた「規範」に該当する。

 そして、この信者が出した喜捨は政府の手によって貧しい人などに分配される。

 その意味で喜捨は税金としての性質ももっている。

 なお、ザカート以外に寄付を行うこともでき、こちらは「サダカ」と呼ばれている。

 また、このサダカやザカートという行為は貧しい人への施しではあるが、宗教上の義務であるから、貧しい人へ恩を売ることにならない。

 他方、施しを受けた側も施した側に対する感謝を強制されるわけでもない。

 感謝するならばそれは全知全能の神アッラーに対して、ということになる。

 もっとも、この「宗教的な見方」が近代という観点から見ると微妙なものをもたらすことになる。

 

 さて、五行の4つ目は「断食」である。

 イスラム歴の九月、信者は断食を行う。

 この断食、期間は日の出から日の入りまでの間であるが(ひと月もの間ぶっ続けで断食したら餓死しかねない)、ものは食べられない・水や飲み物もダメ・つばもダメというのだから、かなり大変である。

 よって、断食には「例外規定」がある。

 具体的には、病人・子供・妊婦の他、旅行者や戦士については除外対象となる。

 

 この点、「除外対象がある」という点をとらえて、そんなことで「規範」としての要件を維持できるのか、と考えるかもしれない。

 しかし、「規範」にとって大事なのは「遵守と違背のラインが明確であること」である。

 そのため、例外によって規範が複雑化したとしても遵守と違背のラインが明確である限り規範として問題ない。

 また、具体的な規範を維持する目的は共同体・社会の維持である

 とすれば、断食によって戦争に負けたら(病人や子供が死んだら)意味がない。

 よって、例外を認める必要があるし、その点は差し支えないのである。

「規範のシンプルさ出でて共同体亡ぶ」・「規範の例外捨てて社会亡ぶ」では意味がないのだから。

 もちろん、朝令暮改の如く例外が頻繁に作られてしまったら規範としての用をなさなくなることはありうるとしても。

 

 つまり、断食の除外規定は合法的例外なのである。

 正当防衛や緊急避難に基づく人の殺傷行為に対して殺人罪が成立しないように。

 だから、戦士・病人といった人たちは気兼ねすることなく、規範を破ったという罪の意識を持つことなく、断食しないでよいことになる。

 

 

 ここでは、「規範」の観点からより細かくみていく。

 

 この点、病人・子供・戦士といった人たちはある程度明確に判断できる。

 ただ、旅行者になると具体的な基準が問題になる。

 例えば、砂漠にある都市から都市までラクダを使って旅している状況であれば、明らかに例外規定にあてはまるだろう。

 こんなところで断食を強制し、ましてや、水や唾まで飲むことを禁止したらその旅行者は死んでしまう。

 もっとも、「クーラーの利いた自動車または新幹線で東京から小田原(約100キロ)まで移動すること」は旅行と言えるのか。

 この移動、東京都の住人が小田原城を観光すれば普通に生じうる旅行である。

 昔なら100キロの移動(徒歩で2、3日)となれば旅行であろうが、車や新幹線での移動であれば、数時間以内に移動でき、その日に帰ってくることも可能である。

 この場合、一般人が自信をもって判断するのは難しい。

 

 さて、このような問題を「規範」としてみた場合、基準を勝手に決めることはできない。

 各人が勝手に決めてしまったら、基準の明確性など吹っ飛んでしまうからである。

 また、仮に、「100キロなら旅行に含まれる」と決めると、「じゃあ90キロはどうなんだ」などということになりうる。

 この場合、究極的には「家から一歩出たら旅行」となりかねず、規範が空洞化してしまう。

 そこで、出てくるのが「イスラム法」である。

 つまり、断食が除外される旅行と単なる移動をイスラム法に照らして具体的に決めていくのである。

 ちょうど、正当防衛と過剰防衛の境界、過剰防衛と通常の殺人の境界を刑法・法学・社会通念を使って決定していくのと同様に。

 

 イスラム社会では「宗教の法=イスラム法」が社会の法として機能している。

 つまり、日常生活のあれこれから社会のルール(取引のルール、犯罪や捜査のルール、戦争のルール)に至るまでイスラム教の教えに則って決められている。

 この規範の集合体が「イスラム法」なのである。

 

 

 以下、このイスラム法についてみていく。

 日本の法体系でトップに立つのが憲法であるように、イスラム法の基本に立つのは大天使ガブリエルがアッラーの言葉として預言者マホメットに伝えた「クルアーン」である。

 もっとも、クルアーンに社会の総ての基準が網羅されているわけではない。

 例えば、マホメットの時代には自動車という言葉もなく、自動車という機械も存在しなかった。

 ならば、「自動車でどれだけ走れば旅行になるのか」という点がクルアーンに書かれているはずがない。

 つまり、最高の法源、または、第一法源であるルアーンに書かれていないことが問題となった場合、別の基準が必要になる。

 この点、第一法源クルアーンで解決できない場合、第二法源として「スンナ」を用いて判断する。

「スンナ」とは預言者マホメットの言行録(ハディース)である。

 とはいえ、クルアーンにもスンナにも書かれていないことはたくさんある。

 この場合、第三法源イジュマー」に頼ることになる

 イジュマーというのはクルアーンやスンナを完璧にマスターした大法学者(ムジュタヒド)たちの合意を意味するものである。

 つまり、クルアーンやスンナにないことは尊敬される大法学者らの合意をもって規範とみなすのである。

 では、イジュマーすらなければどうするか。

 この点については第四法源に頼り、それでもだめなら次の法源に頼る、と言う形で考えていくのである。

 この辺は細かいので省略(本書には簡単な記載がある)。

 

 このような作業を日本人が見るとなにやらバベルの塔が構築されていくさまが見え、規範でがんじがらめになって窮屈さを感じるかもしれない。

 しかし、形式的・論理的にみればこれほど整っているものもない。

 まあ、形式的・論理的に整っていることは総ての問題において妥当な解決が図れることを意味するわけではないのだが。

 

 

 さて、断食を通じて規範の構造についてみてきた。

 もっとも、五行のうちの最後が残っている。

 五行の最後を飾るのは「巡礼(ハッジ)」である。

 これは聖地メッカのカーバ神殿への巡礼を意味する。

 もっとも、これは自発的義務であって、規範ではない(巡礼しなかったことを理由に地獄に落とされるわけではない)。

 しかし、たくさんのイスラム教徒が巡礼に行く。

 

 

 ところで、ここから五行のうちの断食と巡礼についてみてみる。

 この点、イスラム教徒といっても様々な民族がいる。

 また、貧しい者や富める者もいる。

 しかし、このようなバラバラな属性を一つの共同体にまとめ、一つの共同体として連帯させるために支えているのが、宗教的規範のうちの断食と巡礼である。

 例えば、巡礼ではどんな民族の者であろうが、どんな国籍であろうが、あるいは、経済力の違いによることなく、全員が一緒に同じ方向に向かって祈る。

 これが連帯と言う意味で以上に大きな影響をもたらすことになる。

 また、断食においても、原則として、国籍・民族・経済力の有無を問わず、信者がみな断食に耐える。

 この苦しみの共有が連帯をもたらす。

 また、断食と共に断食明けのお祝いも連帯の強化に貢献している。

 

 この点、日本にもお伊勢参りといった巡礼があった。

 しかし、日本の巡礼は各人バラバラである。

 そのため、メッカの巡礼とは全然異なることになる。

 

 

 以上、イスラム教の六信五行について規範の観点からみてきた。

 以下、ここまでのメモについて、私が感じたことを書き足しておく。

 

 まず、日本が遠かったためイスラム教が来なかったという点について。

 この点、安土桃山時代である16世紀、オスマン帝国の隆盛によりアラビア社会とヨーロッパ社会の形勢は完全にアラビア社会の方が上であった。

 ならば、ヨーロッパ社会・キリスト教の人間の方がリスクをとって遠くまで冒険をする意思が強かったということは言えるのかもしれない。

 事実、現在のアメリカ大陸の存在をヨーロッパに知らしめたのはイスラム社会の人間ではなくヨーロッパのクリストファー・コロンブスだし、日本に目をつけたのもヨーロッパ側である。

 また、似たようなことを伺わせる事情として、江戸時代、日本との通商に見切りをつけて平戸を立ち去ったイギリスの例もある。

 イスラム社会側にとって日本は実りが少なかった、ということなのかもしれない。

 

 次に、日本における言語の壁の高さについて。

 確かに、天才的な存在はいただろうし、今もいるだろう。

 しかし、このような優秀な人間は例外とも言えるし、明治時代にヨーロッパに経済学を学びに行った留学生らが語学の壁(と数学の壁)に阻まれて経済学を日本に紹介できなかったという事実がある。

 また、『日本人と組織』でみてきたとおり、日本は言語で秩序を構成している面もあるので、日本では異国の言葉を道具として使いこなすのが苦手という一面はあっても不思議ではない。

 ただ、このような事情は日本人サイドの事情として扱うべきかもしれないが。

(なお、この点に関するブログメモは次のリンク先のとおり)

 

hiroringo.hatenablog.com

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 個人的に感じたことは以上である。

 次回は規範の観点から見た場合のキリスト教などについてイスラム教と対比しながらみていく。

PYTHONでFIZZBUZZプログラムを書く

0 はじめに

 約15か月前、「FIZZBUZZプログラムを書く」という課題にチャレンジしたことがあった。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 上の2つのブログの記事を起案したとき、主として用いたプログラミング言語PERLであった。

 

 その後、約11か月前、RUBYを勉強していたとき、FIZZBUZZZ問題についてRUBYでできるかどうかのチェックを行った。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そして、先週、PYTHON3エンジニア認定基礎試験なるものに合格した

 せっかくなので、PERLやRUBYでやったことがPYTHONでできるのかのチェックを行う。

 

 

 今回の課題はRUBYのときと同じ次の3種類である。

 

① 教科書などを見ないでFIZZBUZZプログラムを書く

② 1行でFIZZBUZZプログラムを書く

③ 「%」を用いないでFIZZBUZZプログラムを書く

 以下、チャレンジする。

 

1 チャレンジの結果

 まず、①の条件で書いたプログラムは次のとおりである

 

for i in range(1, 101):
    if i % 15 == 0:
        print("FizzBuzz!,")
    elif i % 3 == 0:
        print("Fizz!", end=",")
    elif i % 5 == 0:
        print("Buzz!", end=",")
    else:
        print(i, end=",")
 

 

 この点、何も見ないで書いたコードは「不要な半角スペース」が不規則に存在した。

 そこで、「flake8」という文法チェックツールを用いて修正した

 

 

 次に、②の条件(1行以内に収める)で書いたプログラムは次のとおりである

 この点、1行をそのままこのブログにペーストすると幅がオーバーする。

 そこで、このブログに転載する際、プログラムにバックスラッシュを加えて改行した。

 もちろん、バックスラッシュと改行とインデントを消去すれば1行のプログラムとして動く。

 

for i in range(1,101):print("FizzBuzz!,\n" if i%15==0 else "Fizz!," \
    if i%3==0 else "Buzz!," if i%5==0 else str(i)+",", end="")
 

 

 一般的に、ループを作るとき、ヘッダーの末尾に「:」を付け、改行してインデントを追加してループの内容を書いていく。

 ただ、実際問題、ループの後ろは改行とインデントを追加する必要がないらしい

 

 このプログラムの文字数を次のサイトでカウントしたところ、文字数は126文字(スペース含む)だった。

 まあ、こんなところであろうか。

 

http://www1.odn.ne.jp/megukuma/count.htm

 

 

 最後に、③の「%」を用いないで書いたプログラムは次のとおりである。

 

def FizzBuzz(x):
    y = x
    while True:
        if y > 15:
            y -= 15
        elif y == 15:
            return "FizzBuzz!,\n"
        elif y == 3 or y == 6 or y == 9 or y == 12:
            return "Fizz!,"
        elif y == 5 or y == 10:
            return "Buzz!,"
        else:
            return str(x)+","


for i in range(1, 101):
    print(FizzBuzz(i), end="")
 

 

 上ではwhileループを用いたが、再帰関数を用いた場合のプログラムは次のとおりである。

 

def FizzBuzz(x, y):
    while True:
        if y > 15:
            return FizzBuzz(x, y-15)
        elif y == 15:
            return "FizzBuzz!,\n"
        elif y == 3 or y == 6 or y == 9 or y == 12:
            return "Fizz!,"
        elif y == 5 or y == 10:
            return "Buzz!,"
        else:
            return str(i)+","


for i in range(1, 101):
    print(FizzBuzz(i, i), end="")
 

 

 以上、色々なプログラムを書いてみた。

 4つのプログラミングの実行結果は次のとおりである。

 といっても、全部同じだが。

 

(以下、4つのプログラムの実行結果を表示)

PS C:\Labratory\AppLab\HatenaBlog> python FizzBuzzPython02.py
1,2,Fizz!,4,Buzz!,Fizz!,7,8,Fizz!,Buzz!,11,Fizz!,13,14,FizzBuzz!,
16,17,Fizz!,19,Buzz!,Fizz!,22,23,Fizz!,Buzz!,26,Fizz!,28,29,FizzBuzz!,
31,32,Fizz!,34,Buzz!,Fizz!,37,38,Fizz!,Buzz!,41,Fizz!,43,44,FizzBuzz!,
46,47,Fizz!,49,Buzz!,Fizz!,52,53,Fizz!,Buzz!,56,Fizz!,58,59,FizzBuzz!,
61,62,Fizz!,64,Buzz!,Fizz!,67,68,Fizz!,Buzz!,71,Fizz!,73,74,FizzBuzz!,
76,77,Fizz!,79,Buzz!,Fizz!,82,83,Fizz!,Buzz!,86,Fizz!,88,89,FizzBuzz!,
91,92,Fizz!,94,Buzz!,Fizz!,97,98,Fizz!,Buzz!,
PS C:\Labratory\AppLab\HatenaBlog> python FizzBuzzPython03.py
1,2,Fizz!,4,Buzz!,Fizz!,7,8,Fizz!,Buzz!,11,Fizz!,13,14,FizzBuzz!,
16,17,Fizz!,19,Buzz!,Fizz!,22,23,Fizz!,Buzz!,26,Fizz!,28,29,FizzBuzz!,
31,32,Fizz!,34,Buzz!,Fizz!,37,38,Fizz!,Buzz!,41,Fizz!,43,44,FizzBuzz!,
46,47,Fizz!,49,Buzz!,Fizz!,52,53,Fizz!,Buzz!,56,Fizz!,58,59,FizzBuzz!,
61,62,Fizz!,64,Buzz!,Fizz!,67,68,Fizz!,Buzz!,71,Fizz!,73,74,FizzBuzz!,
76,77,Fizz!,79,Buzz!,Fizz!,82,83,Fizz!,Buzz!,86,Fizz!,88,89,FizzBuzz!,
91,92,Fizz!,94,Buzz!,Fizz!,97,98,Fizz!,Buzz!,
PS C:\Labratory\AppLab\HatenaBlog> python FizzBuzzPython04.py
1,2,Fizz!,4,Buzz!,Fizz!,7,8,Fizz!,Buzz!,11,Fizz!,13,14,FizzBuzz!,
16,17,Fizz!,19,Buzz!,Fizz!,22,23,Fizz!,Buzz!,26,Fizz!,28,29,FizzBuzz!,
31,32,Fizz!,34,Buzz!,Fizz!,37,38,Fizz!,Buzz!,41,Fizz!,43,44,FizzBuzz!,
46,47,Fizz!,49,Buzz!,Fizz!,52,53,Fizz!,Buzz!,56,Fizz!,58,59,FizzBuzz!,
61,62,Fizz!,64,Buzz!,Fizz!,67,68,Fizz!,Buzz!,71,Fizz!,73,74,FizzBuzz!,
76,77,Fizz!,79,Buzz!,Fizz!,82,83,Fizz!,Buzz!,86,Fizz!,88,89,FizzBuzz!,
91,92,Fizz!,94,Buzz!,Fizz!,97,98,Fizz!,Buzz!,
PS C:\Labratory\AppLab\HatenaBlog> python FizzBuzzPython05.py
1,2,Fizz!,4,Buzz!,Fizz!,7,8,Fizz!,Buzz!,11,Fizz!,13,14,FizzBuzz!,
16,17,Fizz!,19,Buzz!,Fizz!,22,23,Fizz!,Buzz!,26,Fizz!,28,29,FizzBuzz!,
31,32,Fizz!,34,Buzz!,Fizz!,37,38,Fizz!,Buzz!,41,Fizz!,43,44,FizzBuzz!,
46,47,Fizz!,49,Buzz!,Fizz!,52,53,Fizz!,Buzz!,56,Fizz!,58,59,FizzBuzz!,
61,62,Fizz!,64,Buzz!,Fizz!,67,68,Fizz!,Buzz!,71,Fizz!,73,74,FizzBuzz!,
76,77,Fizz!,79,Buzz!,Fizz!,82,83,Fizz!,Buzz!,86,Fizz!,88,89,FizzBuzz!,
91,92,Fizz!,94,Buzz!,Fizz!,97,98,Fizz!,Buzz!,

(終了)

 

 要求通りの結果が出ている。

 これならミッションクリアと言ってもよかろう。

 

 以上、PYTHONの学習成果を試すため「FIZZBUZZ問題」にチャレンジした。

 今後もプログラミングとの距離を開けないようにいろいろやっていきたい(それが一番大事)。

 当分の間は「Python3エンジニア認定基礎試験を受ける」と宣言することでゲットした次の本を読んでいこうと考えている。

 

 

『日本人のためのイスラム原論』を読む 2

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

 なお、この本は3つの章と7つの節から構成されているが、各節の分量が多い。

 そこで、各節について2回または3回に分けてメモにする。

 

2 「第1章_イスラムが分かれば、宗教が分かる_第1節」を読む(前編)

 まずは、第1章の第1節からみていく。

 第1章の第1節のタイトルは「アッラーは『規範』を与えたもうた」

 この章のキーワードは「規範」である。

 

 ところで、第1章の第1節ではこんな書き出しから始まる。

 

(以下、本文から引用)

 イスラムを知る者は祝福される。

 世界の宗教を理解するからである。

 世界そのものを知るからである。

(引用終了)

 

 興味深いなと考えるのは、「イスラム教信者は祝福される」ではなくイスラムを知る者は祝福される」となっていること。

 次に、祝福の理由が「理解」にある点。

 つまり、この言葉を要約すると、「信仰せずとも知るだけで祝福される。祝福の内容は『理解』」となる。

 

 当然だが、この表現はたとえである。

 しかし、「信仰せずとも(別の条件の成就によって)祝福される」なんて通常の宗教では到底言えないだろう。

 それは、「祝福される理由が『理解』にある」という点も同様である。

 このような言い回しができること自体、本書にいう「無宗教性」を特徴とする日本の特徴なのかもしれない。

 

 

 本書は日本人の無宗教性がもたらす弊害を述べることから始まる。

 

 例えば、日本人の無宗教性から派生する価値判断として「宗教が違っても人間はみな同じ」というものである。

 この点、生物的な部分に注目して、規範や行動様式を捨象して考えるならば、この判断に大きな誤りはない。

 しかし、規範や行動様式までを範囲に入れて「人間みな同じ」と宣ってしまうと、それは「横並び一線主義の強制」に転化し、さらには、相手の価値観の否定にもなってしまう。

 その結果、「宗教が異なれば、行動様式や規範が異なる」という外国人を面食らわせることになる。

 もっとも、この価値判断は「日本人の前提」=日本教というような感じもするのだが、

 

 さらに、本書では日本の無宗教性の弊害として以下のものが列挙されている。

 

カルト教団による信者の搾取、カルト教団による信者を用いた犯罪

・日本における規範の崩壊

・経済に対する依存、経済的破綻を理由とする自殺

・官僚による民主国家日本の簒奪、その結果生じる庶民の搾取

 

 キーワードでまとめれば、アノミー」・「盲目的予定調和説」・「社会科学的実践の欠落」などなど。

 まあ、これらの内容はこれまで読んできた本と大差ない。

 

 もっとも、これは「無宗教性の問題」と見るべきなのか、「日本教の問題点」と見るべきではないか、というのは少し気になった。

 この点、どちらを選択しても問題点の具体的な内容は同じになる。

 また、後者を選択したほうが対策が立てやすい(実行しやすいことを意味しない)とも言いうる。

 だから、細かい話だし、どちらでも構わないレベルではある。

 

 

 ところで、社会問題に対して弊害だけ書いて対策を述べないのはあまり意味がない。

 そのため、小室先生は日本の無宗教性を緩和するための処方箋を掲げている。

 その処方箋の内容はイスラム教に入信しなさい」というものである。

 そして、入信が無理な人(まあ当然である)に対する次善の策が「イスラム教とは何かを本気になって研究(理解)する」である。

 

 この「入信せよ」という処方箋。

 私の感想は、「確かに、イスラム教に入信すれば、無宗教性の弊害は改善するだろう。しかし、そんなことをしたら近代社会は回せないし、日本人が大挙して今のイスラム教に帰依したら『果たしてこれは日本人なりや』となりかねない。最後に、ラノベやアニメといったものは偶像崇拝として弾圧の対象になることを覚悟する必要がある」といったところか。

 閑話休題

 

 この点、イスラム教の理解によるメリットを次のように述べている。

 第一に、イスラム教は宗教の模範に近いので、イスラム教を理解すれば宗教が理解できる点。

 人間視点から見た場合、イスラム教がユダヤ教キリスト教の不合理を克服するべく生まれたのであるから、ある種当然なのかもしれない。

 次に、イスラム教の理解によってキリスト教ユダヤ教の理解が進む点。

 さらに、キリスト教を理解することで、資本主義・立憲主義・民主主義といった近代を支える思想を理解し、それと共に外国人との交流を円滑にできる点。

「いささか現実的利益が強すぎないか」という感想を持たざるを得ないが、私を被験者として実験してみた結果から考えると、それなりに有効性はあるように思われる。

 ただ、イスラム(教)と日本的なもの違い」の大きさに逆に驚く羽目になったが。

 

 

 ここから本格的に「イスラム教とは何か」という話に進む。

 ただ、理解を進めていくための補助線として、次の問題を考える。

 その問題は「なぜ、日本にはイスラム教徒が少ないのか」という問題である。

 

 この点、日本の宗教に対する寛容さ、おおらかさはユニークである。

 例えば、仏教について。

 仏教が導入された聖徳太子蘇我馬子)の時代、蘇我氏物部氏との間に争いがあったものの、その後、平安時代鎌倉時代室町時代と時代が経つにつれて日本に定着していく。

 もっとも、日本の浄土宗などは「はたしてこれは仏教なりや」などと言われることもあるらしいが。

 次に、キリスト教について。

 確かに、江戸時代に徳川幕府が禁教令を出した。

 しかし、フランシスコ・ザビエルが鹿児島にやってきてから禁教令が出される約50年の間、キリスト教は九州に広まり、いわゆるキリシタン大名が生まれた。

 もちろん、スペイン・ポルトガルが軍隊を使って改宗を迫ったわけではない(キリシタン大名自ら百姓に改宗を迫ったケースはあるだろうが)。

 これもすごい。

 新井白石のいうところの「円の文化」の現れというべきだろうか。

 さらに、ここでの記載がない儒教について(具体的な記載は第2節にある)。

 江戸時代以降、明の滅亡という事件もあってか儒教もどんどん入ってきた。

 しかし、イスラム教にはこのような気配がない。

 

 この点、イスラム教はキリスト教・仏教と並んで世界の三大宗教の一つに数えられている。

 ならば、イスラム教もキリスト教や仏教のように日本に入ってきてもおかしくない

 しかし、現代日本を見るとそのような気配はない。

 これは意外な結果である。

 

 この点、宗教社会学者のマックス・ウェーバーによると「学者に最も必要な能力は『驚く』能力である」であり、「学者を育てようと考えるならば、学問を教えるよりも驚き方を教えろ」とのことである。

 なんか、日本の現状とは真逆に見えるがそれはさておき。

 このマックス・ウェーバーの意見を前提とすれば、「日本におけるイスラム教の薄さ」という不思議な現状に驚かなければ学者としては要はなさないのだろう。

 

 そして、最初に取り上げた「なぜ、日本にはイスラム教徒が少ないのか」という問題。

 この問題を考える際、イスラム教と日本社会の双方を見ていけば答えられる問題である。

 そこで、この問題を考える過程を通じて、イスラム教を見ていこう、というわけである。

 

 

 まず、イスラム教とイスラム社会を見ていく観点から、歴史に話題を移す。

 預言者マホメットが現れ、イスラム教のもとにアラブが結集した。

 その後、イスラム教は帝国として爆発的発展を遂げていくことになる

 マホメットの死後、100年も経たないうちに、ローマ帝国アレクサンドロス三世(アレクサンダー大王イスカンダル)が築いたマケドニア帝国の版図を超える帝国を作り上げてしまったのである。

 

 当時、アラビアにはキリスト教ビザンティン帝国ゾロアスター教ササン朝ペルシャが覇を競っていた。

 両方とも歴史のある強大な帝国である。

 しかし、イスラム教のもとに結集したアラブ人たちは634年から始まる戦争においてたった8年でササン朝ペルシャを葬ってしまう。

 そして、ビザンティン帝国からは文化が発展していたシリア・エルサレム・エジプトなどを奪い取った。

 すごい快進撃である。

 もちろん、その背景に602年から628年まで続いた両帝国の戦争による疲弊があったとしても。

 日本の戦国時代(信長の野望)でたとえるなら、関ヶ原前夜、豊臣方と徳川方で争っている際、関ヶ原が長引いて両者が疲弊してたところ、伊達政宗や真田一族が天下を取ってしまうようなものである(いささか大袈裟か)。

 

 ところで、両帝国を蹴散らしたイスラム帝国はこれだけで満足しなかった。

 北アフリカをどんどん西に進み、ジブラルタル海峡を渡ってスペインまで進む。

 今のフランスにいたカール・マルテルフランク王国の宰相、カール大帝の祖父)によりフランスへの侵攻はかなわなかったが、それでもすごい進軍である。

 

 

 もちろん、イスラム帝国が爆発的に発展したあともイスラム教は広がっていく。

 例えば、インド。

 インドと言えば仏教やヒンドゥー教が発祥し、文化の発展が著しい地方であったが、11世紀ころからイスラム教の王朝が出現し、その後、イスラム教を奉じるムガル帝国ができる。

 あるいは、インドネシア中央アジア

 さらに、バルカン半島

 オスマン帝国オスマン・トルコ)の領土拡張、コンスタンティノープルの征服によりこれらの地方にもイスラム教が広まっていくことになる。

 もちろん、中国にもコーランが到達し、イスラム教を信仰する官僚も登場する。

 本書では明の時代に大船団を率いた鄭和が紹介されている。

 

 ところで、イスラム教の布教はキリスト教の布教よりも穏やかである。

 というのも、イスラム教のクルアーンには「信仰を強制してはならない」というものがあるからである。

 具体的な記載の様子を次のサイトのクルアーンから見てみる。

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

(以下、上記サイトからクルアーンの和訳の第2章の第256節から引用、引用元のリンクは引用直後に記載)

 宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。アッラーは全聴にして全知であられる。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 それゆえ、帝国の領内にいたからといって、イスラム教以外の宗教を信仰することが禁止されていたわけでもない。

 本書に記載はない点を追加すると、前述のとおりササン朝ペルシャは滅亡したが、ゾロアスター教が帝国の滅亡と同時に瓦解したわけではない。

 もっとも、このような異教を信仰した場合、人頭税などの負担はあった。

 また、イスラム教徒に異教を勧めることもできるわけではないし、社会的な差別のようなものがなかったとは言えないだろう。

 その意味で、近代主義における「信教の自由」とは意味が異なる。

 しかし、十字軍や新大陸におけるキリスト教徒の振る舞いに比べればはるかに穏やかと言えるだろう。

 なお、本書では「すべてが平和的に行われた」・「占領地の人々が回収したのは、すべて自発性に基づくものである」などいった断定的な表現が使われている。

 本ブログは読書メモでもあるので、その点は補足しておく。

 

 

 そのイスラム教、日本に根をおろしていない。

 本書の記載その他によると、日本人のムスリムは約5万、日本在住の外国人も含めて約20万人とのことである。

 一般に、徳川家康が禁教令を出した時点で、日本のキリスト教徒が約20万人(当時の人口は今の人口の3分の1以下であった)いたことを考慮すれば、この違いが分かる。

 もちろん、そもそも根をおろしていないので禁教令のようなものもない。

 その原因を、イスラム教の側、日本社会の側の両方から見てみる。

 

 

 以上が本節の最初のお話。

 ここからイスラム教側の事情を見ていくわけだが、ちょうどきりがよい。

 よって、今回はこの辺にしておく。

Python3エンジニア認定基礎試験合格体験記

 少し前、Python3エンジニア認定基礎試験(長い試験名である)を受験する旨宣言した。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そして、5月30日の月曜日、この試験を受験して、合格した。

 そこで、忘れぬうちにこの試験のことと付随する事項について振り返る。

 

1 資格試験を受ける目的

 まず、私が継続的に資格試験を受ける目的を確認する。

 令和元年以降、「毎年、資格試験を受けて2つの試験に合格する」という目標を設定した。

 その目的は次の2点である。

 

1、勉強する習慣を維持・継続する

2、勉強の成果を具体的なアウトプットにする

 

 そして、令和元年から3年までの3年間に6個の資格(簿記3級、簿記2級、FPの3級、FPの2級、基本情報技術者、統計検定2級)を取得した。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 また、今年の4月に「数学検定1級」の試験を受けて撃沈した。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 4月に数学検定1級に撃沈にしたことで、今年取得する資格の1つに赤信号が灯った。

 そこで、急遽、数学検定1級に代わる果たせるノルマ(資格)が必要になったのである。

 

2 Python3エンジニア認定基礎試験を受ける目的

「数学検定1級」に撃沈し「何か資格はないかなあ」と考えていたところ、pythonに関する資格を見つけた。

 調べてみるとなんか本を配るキャンペーンをやっているという。

 

www.pythonic-exam.com

 

 まず、私はこのキャンペーンに興味を持った。

 また、機械学習を現実に行っていくためにはpythonを使いこなす必要がある

 そして、最近、プログラムとの縁が遠くなっていた。

 

 以上の3点の事情から、「よし、『pytyon3エンジニア認定基礎試』なる資格を取得することで、機械学習に必要なpythonの知識をブラッシュアップするとともにプログラムとの距離を縮め、また、2つのノルマのうちの一つを片付けよう」と考えた。

 そして、ブログで受験を宣言してキャンペーンに応募し、本をゲットする。

 ちなみに、ゲットした本は機械学習の本である。

 

 

 しかし、本につられて資格試験を受けるというのは・・・。

 本の価格は約2800円。

 2800円の本がゲットできるからと言って、1万1千円の資格を受けるのは取引としてどうなのか。

 信長の野望だったら、羽柴秀吉(軍師)から「この取引は損でござる」と言われたに違いない。

 

3 具体的な勉強方法

 最近、pythonから距離が遠くなっていた。

 そこで、自分の手元にあったpythonの教科書を一から勉強し直すことにした。

 具体的に勉強に利用した教科書はこちらである。

 

 

 この本を読み、プログラムを写経する。

 当初は問題を解くだけの予定であったが、写経もしてしまった。

 ただ、本を読んで写経するよりも、具体的なアプリを作成するか、最低でも専ら演習をした方がよかったかもしれない。

 もちろん、読書と写経が知識のブラッシュアップにはなったことは間違いないけれども。

 

 

 もっとも、上の教科書だけでは細かい知識が足らないかもしれない。

 また、実際の問題になれる必要もある。

 そこで、次の本をアマゾン・アンリミテッドで借りて、ひたすら演習に勤しんだ。

 

 

 この問題集には上の教科書に書いていない細かい知識が書かれていた。

 演習をやりながらその辺の知識を追加していく。

 その観点からこの問題集を解いたことは正解であった。

 

 

 具体的に手を出したのはこの2つのみ。

 結果から見ればこれで充分であった。

 

 もっとも、5月に所用で思ったより時間をとられた関係で、あんまり勉強はできず。

 気付けばほぼ一夜漬け(二夜漬け)という感じになってしまった。

 勉強する習慣はどこへやら、と言う感じである。

 

4 受験について

 この試験はCBT方式の試験である。

 そして、試験会場は統計検定2級の試験と同じであった。

 

 会場には試験開始時刻の45分前に到着する。

 早く着き過ぎたが、列車の遅延などの可能性を考慮すればこれはやむをえまい。

 

 そして、会場にて事務的なことを行い、試験に関する確認などを行う。

 また、予定よりも早く始めることができると言われたので、さっさと試験受けることにする。

 

 そして、試験開始。

 試験は30分足らずで回答が埋まる。

 自信のない問題が約2割あったが、知らない、または、忘れた以上は考えてなんとかなるわけではない。

 また、合格ラインが7割であることを考慮すれば、全部外していても差し支えない。

 そこで、半分近く時間を残したまま終わらせた。

 

 CBT方式の試験なので、合否の結果はすぐわかる。

 結果は、、、正答率82.5%(40問中33問)で合格していた。

 

 これで今年の2つのノルマのうち、1つをクリアである。

 

5 感想

 まず、試験その他に要した時間は全部で約30時間であった

 この中には申込手続、試験に要した時間も含まれるので勉強時間は約25時間であろうか。

 時間のみで比較すれば、統計検定2級、FP3級と同程度、基本情報技術者の半分程度である。

 

 そして、正直簡単だった。

 今回の試験は「pythonの復習の機会」と位置付けており、その目的を達成することのできるレベルだったとは判断しているが、それだけのことである。

 問題をあのままで実効性のある試験にするならば、合格最低点32点(80%)・試験時間40分としてもよいように思う。

 

 以前、「資格試験は受かって当然、落ちたら論外」ということを書いた。

 その観点から見た場合、今回の試験は特にそうだと感じた。

 感じた度合いでいうなら簿記3級よりも上かもしれない。

 少なくても、将来FPの2級を受けるために必要なFPの3級よりも強いことは明らかである。

 

 

 以上、試験に関する諸々についてまとめた。

 いい経験、いや、ユニークな経験が得られたことを考慮すれば、今回の一連の取引が大損になったとは考えない。

 ただ、それ以上のことは言えない、というのが正直な感想である。

 

 それから、今後、プログラムと疎遠にならないように気を付けないといけない。

 また、疎遠にならないような具体的な対策を考えて、かつ、これを実行しなければならない。

 でないと、今回の試験の意味が完全に喪失してしまうから。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 1

0 はじめに

『日本人のためのイスラム原論』という本がある。

 

 

 著者はこのブログで何度も取り上げている故・小室直樹先生である。

 

ja.wikipedia.org

 

 次の読書メモはこの本にする。

 この本を読むことで、イスラム教とイスラム社会(アラビア社会)について理解していくことができるからである。

 また、宗教と歴史の理解も進むからである。

 

 さらに、この本の知識などを応用(利用)すれば、日本の理解も当然進む。

 ただ、日本の理解に関してはこれまでの読書メモがある。

 そのため、「日本の理解」については確認の意味合いが強くなるだけで終わるかもしれない。

 

1 「はじめに」を読む

 本書は2002年に出版された。

 2002年というと、セプテンバー・イレブンの直後である。

 現在(令和4年)から見て既に20年、既にかなりの時間が経過している。

 

 小室先生は言う。

 セプテンバー・イレブンの後、日本にはイスラム教やイスラム教社会(アラビア社会)に関する本が大量に出回った。

 そして、それらの本に書かれた体験記やレポートで見るべきものは多い、と。

 もっとも、これらのレポート・体験記が真実・事実であるとしても、それらだけからイスラム教・イスラム社会の本質を明白に把握することはできない、と。

 つまり、具体的な事実(真実)を知るだけでは足りない。

 真理(抽象的な一般法則)を知るためには科学的な検証、具体的には、これらの事実を材料にして比較宗教社会学の分析方法を用いてイスラム教をみていく必要がある、と。

 

 ある種当然の指摘であり、私も賛成する。

 また、この見解に賛成することは、見るべき体験記やレポートの価値・必要性を否定するものでもない(もちろん、レポートや体験記の神聖的な価値を否定することにはなるが)。

 ただ、この賛成にはある前提が不可欠である。

 そして、これまで読んできた故・山本七平氏の書籍から考えると、日本人の多数派にこの前提が共有されているかは微妙な気がする。

 ただ、この部分に話を広げるとイスラム教・イスラム社会から離れるので、この辺にとどめる。

 

 

 では、比較宗教社会学の分析結果からわかることは何か。

 

 まず、イスラム社会とはイスラム教を奉じる社会である

 そして、イスラム教では宗教=法であり、①神との契約、②宗教の戒律、③社会の規範(道徳)、④国の法律が一致する、らしい。

 この4つが一致するのは宗教の理想であるところ、イスラム教はこの理想状態をもっとも体現していることになる。

 イスラム教はキリスト教より後発であることを考慮すれば、そうなって当然なのかもしれない。

 その結果、信者から見た場合、法律を守ること、道徳を守ること、戒律を守ること、神様との約束を守る(よって、死後楽園に行ける)ことがストレートに一致する。

 信者から見てこれほど精神的に楽な話はない。

 

 この点について、キリスト教はどうか。

 キリスト教には法や規範が存在しない、らしい。

ばんなそかな」と考えるかもしれないが、キリスト教の予定説(「神は人間の運命をあらかじめ決めており、人間は神の予定をそのまま演じるのみ」)や「神は人間と取引しない」という発想を考慮すれば、イスラム教のような明快さがないことは明らかである。

 というのも、「人間が神様との約束を守れば、神様は約束を守った人間を楽園に招く」という構造自体が「人間と神との取引」だからである。

 そのため、キリスト教、特に、新教において信者が信仰を維持するのは大変である。

 その観点から見ると、後述するカトリック教会の戦略はやむを得ないようにみえてくる。

 

 

 また、キリスト教には原罪論や予定説といった教義がある。

 しかし、イスラム教にはそのような教義はない。

 イスラム教は「法(神様との契約=戒律)を守れ」と述べるのみ。

 だから、分かりやすい。

「空気」が宗教的規範として機能する日本教と比較しても、分かりやすい。

 

 

 預言者マホメット(ブログでは預言者の表記を「ムハンマド」ではなく「マホメット」で統一する)がイスラム教を興したころ、アラビア・西アジアは西にキリスト教ビザンティン帝国があり、東にゾロアスター教ササン朝ペルシャがあった。

 また、ユダヤ教の商人たちもいた。

 しかし、イスラム帝国イスラム教を興してから約100年間に、ビザンティン帝国を駆逐し、ササン朝ペルシャを滅亡させた。

 そして、アラビア・北アフリカイベリア半島を支配する大帝国に発展した。

 中華帝国同様、イスラム帝国の発展は帝国の生産力を向上させ、富は増加し、経済も発展した。

 こうなれば、当然、文化も発展する。

 現在のアラビア数字、代数学天文学・化学・ギリシャやローマの思想研究の基礎はアラビアを基礎としている。

 また、イタリアのルネッサンスイスラム文化の影響を受けていることはご存じであろう。

 

 もっとも、この繁栄極めたイスラムにとって「近代化」だけは相性が悪いらしい。

 つまり、近代民主主義・近代国家・近代立憲主義近代法・資本主義、これらとイスラム社会(イスラム教)は相性がよくないらしい。

 そのため、ヨーロッパの逆襲にあっている。

 2022年のロシアとウクライナの騒擾がヨーロッパ・アメリカとイスラムのパワーバランスを変えることになるかどうかは微妙だが。

 この点、中華帝国と同様、イスラム社会においてもマックス・ウェーバーのいう前期的資本は大いに発展した。

 また、平等・自由・法の概念はイスラム教に当然含まれている。

 ただ、近代化だけは相性が悪いらしい。

 それだけ、イスラム教が(ある状況に対して)完璧だった」ということであり、イスラム教のすばらしさを示しているのかもしれない。

 

 

 ところで、イスラム社会とヨーロッパ社会はイスラム教ができてから抗争を続けてきた。

 最初の長い間(約1000年)はイスラム社会が優勢。

 その後、近代化を果たしたヨーロッパが逆襲に転じる。

 そして、2001年のセプテンバー・イレブン。

 ただ、この事件によって近代化の権化たるアメリカ合衆国もある種の先祖返りをおこした。

 近代化(自由主義・民主主義)を誇りにして、それを世界に押し付けているアメリカが、である。

 例えば、近代デモクラシーの大原則として罪刑法定主義(事前の法律なくして刑罰なし)と無罪推定(疑わしきは罰せず)がある。

 しかし、セプテンバーイレブン後のアメリカの言動はそれをかなぐり捨ててしまったかのような印象がある。

 もちろん、国家安全保障上の必要性があり、やむを得ないものであるとは言えるとしても。

 

 このアメリカの言動、山本七平氏の『「空気」の研究』に書かれていたことを前提としてみれば、アメリカがもっている二つの要素のうちの一方に極端に振れたとみることができる。

 その意味で、アメリカは巨大なキリスト教国家、さらに言えば、白人国家であるということが分かる。

 この点は硬貨に刻まれた「IN_GOD_WE_TRUST」などに見ることができる。

 

 このような観点から見れば、セプテンバー・イレブン以後のアメリカとイスラム社会の争いはキリスト教VSイスラム教」と言うべきものである。

 そして、これまで長く続けてきた抗争の延長線上にあるもの、とも言える。

 

 

 ただ、日本人にはこの辺がピンと来ないらしい。

 それもそのはず。

 仏教にせよ、儒教にせよ、日本の通常性(いわゆる「水」と「空気」の源泉)は宗教的なものを骨抜きにしてしまうからである。

 しょうがないというしかない。

 ただし、もし、形式的・員数的(受験レベルにおいて)に世界を理解すること、または、主観的に世界を理解することに満足せず、「実質的」に世界の理解をしていこうと欲するならば(もちろん、これは遠い道のりである)、一神教などの宗教の理解は必須となる。

 そして、この本はイスラム教だけではなく、宗教の理解に役に立つ。

 だから、読書メモにこの本を選んだわけだが。

 

 

 以上、第1章に行く前にだいぶ走ってしまった。

 次回から、第1章を読んでいくことにする。