今回はこのシリーズの続き。
『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。
8 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第1節」を読む(前編)
第1章では、「規範」という観点からイスラム教・キリスト教・ユダヤ教・仏教・儒教、そして、日本教についてみてきた。
ここで触れていない著名な宗教はヒンディー教、それから、過去に存在したゾロアスター教であろうか。
そのため、宗教についてある程度網羅的に見たと言える。
ここで、各宗教を規範の観点からまとめておこう。
もちろん比較する要素は他にもある。
神の数、神の人格の有無、救済対象、救済内容などなど。
それらは適宜追加していく予定である。
第2章の第1節のタイトルは「『一神教』の系譜_キリスト教の『愛』とアッラーの『慈悲』を比較する」。
キリスト教におけるイエス・キリストの「愛」とイスラム教におけるアッラーの「慈悲」、つまり、神の恩寵という観点から一神教についてみていく。
第1章でみてきた通り、キリスト教は信仰ありきで規範がない。
同じ一つの絶対神に帰依する宗教なのに。
この点、キリスト教はユダヤ教の律法を廃止することで独立する。
この思想を確立したのがパウロであり、そのことが「ローマ人への手紙」に見られる。
該当する部分を見てみよう。
(以下、『ローマ人への手紙』の第3章の28節から、引用元のリンクは次の通り)
わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
(引用終了)
(以下、『ローマ人への手紙』の第9章の32節と33節から、節番号は省略)
しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった。
なぜであるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。彼らは、つまずきの石につまずいたのである。
(引用終了)
この「信仰のみが重要」というキリスト教の発想が特異的であることは既にみてきた。
というのも、それ以外の儒教・仏教・ユダヤ教・イスラム教には明確な規範があるからである。
しかし、日本人にはこのキリスト教の特異性が分からない。
なぜなら、日本社会には「宗教的な『規範』をいつの間にか消してしまう作用」があるからである。
このことは仏教の戒律を廃止していった歴史、儒教で孔子一本槍になっていった歴史が参考になる。
つまり、日本では「形より心」・「戒律より信仰」が常識なのである。
また、キリスト教は「博愛の宗教」と言われている。
そこで、この点について歴史を参照しながらみていく。
キリスト教は信仰を求める。
では、その信仰の具体的内容は何か。
その内容を律法学者の問いに対するイエス・キリストの回答から確認する。(なお、『マルコ福音書』の記載は次のサイトから引用する)。
(以下、上記サイトから『マルコ福音書』の第12章の28~31節を引用、各段を改行で分け、節番号は省略、また、強調は私の手による)
ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。
イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。
(引用終了)
つまり、キリスト教において求められる信仰は「神と隣人への愛」となる。
ところで、この戒めは規範として機能しない。
そのため、「いかなる場合にどこまでやらなければならないか」といった基準がない。
その結果、要求される「神と隣人への愛」は無条件・無制限ということになり、「見返りがなくてもやらなければならない」といったようなことにもなる。
神が人に対して無条件の愛を注ぐように。
この点、規範は「この場合はここまでやらなければならない」という基準が明確である一方で、「ある場合は、あるいは、これ以上はやらなくてもいい」という基準も明確である。
前者は「義務」としても性質があるが、後者は「自由」としての性質をもつ。
他方、規範でない場合、宗教的要求は極端・原理主義的になる。
その結果、キリスト教ではクリミアの天使ナイチンゲール、アウシュビッツでユダヤ人の身代わりとなって死んだコルベ神父、あるいは、マザー・テレサのような人間が現れた。
これらの方々がなした行為はまさに「アガペーの実践」と言える。
仏教が勧める善行・慈悲もこれらには負けてしまうであろう。
このアガペーの教義、または、アガペーを実践した行為を見て、「キリスト教を博愛の宗教」と判断するのは相応の理由がある。
ところが。
歴史を見ればわかる通り、キリスト教徒ほど残虐をほしいままにした集団もない。
このことは、中南米でスペイン人(カトリック)がアステカやインカ帝国を滅ぼし、財宝を奪い、先住民を殺戮しまくったこと、北米でイギリス人(ピューリタン)が先住民を迫害しまくったことが参考になる。
また、黒人奴隷をあたかも商品のごとく扱った事実も加えてもいいかもしれない。
この点、どの社会にも「奴隷」は存在した。
しかし、ピューリタンの奴隷ほど悲惨な例はない。
ピューリタンの奴隷は各世界の奴隷の中で最も「財産」として扱われたのだから。
さらには、宗教改革から生じたキリスト教に新旧対立も追加してもいいかもしれない。
これらを行為を実行した連中がキリスト教徒であること、集団としてこれらの行為が行われたこと(個人の暴走ではない)を見て、「キリスト教徒とはなんたる連中か」と考えることは全く不思議ではない。
ところで。
大航海時代、キリスト教の宣教師からローマ法王にはこんな悩みが寄せられていた。
「異教徒は人間なりや?」と。
もし、異教徒が人間ならば、異教徒に対する蹂躙をほしいままにすることはできない。
イエス・キリストは「汝、殺すなかれ」と言っているから(『マタイ福音書』の19章18節)。
逆に、異教徒が人間でなければ奴隷にしようが虐殺しようが問題ないことになる。
そのため、良心的な宣教師からローマ教皇にこのような問い合わせがなされたのである。
この点、この回答が当時の権力関係(パワーバランス)によって決まるということは十分ありうる。
しかし、教皇が回答する場合、「宗教上の根拠」が必要になる。
そして、この宗教上の根拠からキリスト教を理解することができる。
そこで、ローマ教皇の答えの背後にある「宗教上の根拠」をみてみる。
なお、ローマ教皇の回答の根拠は旧約聖書までさかのぼることになった。
旧約聖書で最も有名な物語の一つに「出エジプト記(エクソダス)」がある。
つまり、エジプトの奴隷となっていたイスラエル人を救済するため、神はモーセ(ムーサー)を派遣し、ファラオ(フィルアウン)と交渉する。
ファラオは奴隷となっていたイスラエルの民の解放を許可しないため、モーセは神の力を借りてさまざまの奇蹟を見せつけ、その結果、ファラオはイスラエルの民の解放を許可する。
イスラエルの民はエジプトを脱出するが、気の変わったファラオは軍を派遣する。
このとき、神は海を真っ二つに割ってイスラエルの民を救済した。
その後、モーセらイスラエルの民はシナイ山の麓にたどりつき、神は民に「十戒」を与える、、、といった物語である。
この点、十戒が与えられた後、イスラエルの民が安住できる未開の土地にたどりついた、そして、その土地で幸せに暮らした、となれば、この話は「めでたし、めでたし」で終わったであろう。
しかし、実際はそうはならなかった。
イスラエルの民はその後約40年間荒野をさまよい、モーセもその間に死亡する。
というのも、イスラエルの民が目指した土地がカナン(パレスチナ)であったからである。
イスラエルの民がカナンを目指したのはなぜか。
この根拠は旧約聖書の『創世記』まで遡ることになる。
つまり、イスラエルの民の祖先にアブラムという神を深く信仰していた男がいたところ、そのアブラムに対して神が与えると約束した土地がカナンであった(具体的な記載部分は『創世記』の15章)。
この啓示によりアブラムはアブラハムという名前に改名した。
このカナンの地(現在のパレスチナ周辺)は近くに森もある穏やかな気候の土地である。
また、東地中海に面しており交通の便も良い。
つまり、住む土地の条件として好条件である。
そして、祖先が神からもらった土地という条件も加わっている。
そこで、イスラエルの民はカナンを目指した。
もっとも、好条件の土地だったカナンには既に先住民(異教徒)が住んでいた。
イスラエルの民が「この土地は先祖が神から賜ったのだから住まわせろ、先住民は出ていけ」と言っても相手にされない。
そこで、神はモーセの後継者にヨシュアを据え、カナンに入るように命じる。
そして、ヨシュアらはカナンにあった先住民の都市をことごとく攻め滅ぼすことになる。
その際、攻め滅ぼした都市の先住民を皆殺しにした。
これはヨシュア軍団が神の御心(命令)のままに行ったものである。
このことを『ヨシュア記』の記載から確認する。
(以下、『ヨシュア記』の11章の11節から23節までの記載を引用、ソースは以下のリンクより、また、節の数字は省略、さらに、強調は私の手による)
ヨシュアはこれらの王たちのすべての町々、およびその諸王を取り、つるぎをもって、これを撃ち、ことごとく滅ぼした。主のしもべモーセが命じたとおりであった。
ただし、丘の上に立っている町々をイスラエルは焼かなかった。ヨシュアはただハゾルだけを焼いた。
これらの町のすべてのぶんどり物と家畜とは、イスラエルの人々が戦利品として取ったが、人はみなつるぎをもって、滅ぼし尽し、息のあるものは、ひとりも残さなかった。
主がそのしもべモーセに命じられたように、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりにおこなった。すべて主がモーセに命じられたことで、ヨシュアが行わなかったことは一つもなかった。
こうしてヨシュアはその全地、すなわち、山地、ネゲブの全地、ゴセンの全地、平地、アラバならびにイスラエルの山地と平地を取り、
セイルへ上って行く道のハラク山から、ヘルモン山のふもとのレバノンの谷にあるバアルガデまでを獲た。そしてそれらの王たちを、ことごとく捕えて、撃ち殺した。
ヨシュアはこれらすべての王たちと、長いあいだ戦った。
ギベオンの住民ヒビびとのほかには、イスラエルの人々と和を講じた町は一つもなかった。町々はみな戦争をして、攻め取ったものであった。
彼らが心をかたくなにして、イスラエルに攻めよせたのは、もともと主がそうさせられたので、彼らがのろわれた者となり、あわれみを受けず、ことごとく滅ぼされるためであった。主がモーセに命じられたとおりである。
その時、ヨシュアはまた行って、山地、ヘブロン、デビル、アナブ、ユダのすべての山地、イスラエルのすべての山地から、アナクびとを断ち、彼らの町々をも共に滅ぼした。
それでイスラエルの人々の地に、アナクびとは、ひとりもいなくなった。ただガサ、ガテ、アシドドには、少し残っているだけであった。
こうしてヨシュアはその地を、ことごとく取った。すべて主がモーセに告げられたとおりである。そしてヨシュアはイスラエルの部族にそれぞれの分を与えて、嗣業とさせた。こうしてその地に戦争はやんだ。
(引用終了)
まとめると次のようになる。
神がヨシュアにカナンへの侵攻を命じた。
ヨシュアは神の命じたままにカナンに侵攻し、侵攻した都市の先住民を皆殺しにした。
つまり、カナンに住んでいた先住民虐殺の首謀者は神である。
しかも、神は虐殺の手助けさえしている。
例えば、ヨシュア軍団がヨルダン川を渡って最初に攻略した都市がエリコであった。
『ヨシュア記』ではエリコ攻略について次のように示している。
(以下、『ヨシュア記』の第六章から引用、節番号は省略、強調は私の手による)
さてエリコは、イスラエルの人々のゆえに、かたく閉ざして、出入りするものがなかった。
主はヨシュアに言われた、「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。
あなたがた、いくさびとはみな、町を巡って、町の周囲を一度回らなければならない。六日の間そのようにしなければならない。
七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて、箱に先立たなければならない。そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。
そして祭司たちが雄羊の角を長く吹き鳴らし、そのラッパの音が、あなたがたに聞える時、民はみな大声に呼ばわり、叫ばなければならない。そうすれば、町の周囲の石がきは、くずれ落ち、民はみなただちに進んで、攻め上ることができる」。
ヌンの子ヨシュアは祭司たちを召して言った、「あなたがたは契約の箱をかき、七人の祭司たちは雄羊の角のラッパ七本を携えて、主の箱に先立たなければならない」。
そして民に言った、「あなたがたは進んで行って町を巡りなさい。武装した者は主の箱に先立って進まなければならない」。
ヨシュアが民に命じたように、七人の祭司たちは、雄羊の角のラッパ七本を携えて、主に先立って進み、ラッパを吹き鳴らした。主の契約の箱はそのあとに従った。
武装した者はラッパを吹き鳴らす祭司たちに先立って行き、しんがりは箱に従った。ラッパは絶え間なく鳴り響いた。
しかし、ヨシュアは民に命じて言った、「あなたがたは呼ばわってはならない。あなたがたの声を聞えさせてはならない。また口から言葉を出してはならない。ただ、わたしが呼ばわれと命じる日に、あなたがたは呼ばわらなければならない」。
こうして主の箱を持って、町を巡らせ、その周囲を一度回らせた。人々は宿営に帰り、夜を宿営で過ごした。
翌朝ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱をかき、
七人の祭司たちは、雄羊の角のラッパ七本を携えて、主の箱に先立ち、絶えず、ラッパを吹き鳴らして進み、武装した者はこれに先立って行き、しんがりは主の箱に従った。ラッパは絶え間なく鳴り響いた。
その次の日にも、町の周囲を一度巡って宿営に帰った。六日の間そのようにした。
七日目には、夜明けに、早く起き、同じようにして、町を七度めぐった。町を七度めぐったのはこの日だけであった。
七度目に、祭司たちがラッパを吹いた時、ヨシュアは民に言った、「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜わった。
この町と、その中のすべてのものは、主への奉納物として滅ぼされなければならない。ただし遊女ラハブと、その家に共におる者はみな生かしておかなければならない。われわれが送った使者たちをかくまったからである。
また、あなたがたは、奉納物に手を触れてはならない。奉納に当り、その奉納物をみずから取って、イスラエルの宿営を、滅ぼさるべきものとし、それを悩ますことのないためである。
ただし、銀と金、青銅と鉄の器は、みな主に聖なる物であるから、主の倉に携え入れなければならない」。
そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。
そして町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした。
その時ヨシュアは、この地を探ったふたりの人に言った、「あの遊女の家にはいって、その女と彼女に属するすべてのものを連れ出し、彼女に誓ったようにしなさい」。
斥候となったその若い人たちははいって、ラハブとその父母、兄弟、そのほか彼女に属するすべてのものを連れ出し、その親族をみな連れ出して、イスラエルの宿営の外に置いた。
そして火で町とその中のすべてのものを焼いた。ただ、銀と金、青銅と鉄の器は、主の家の倉に納めた。
しかし、遊女ラハブとその父の家の一族と彼女に属するすべてのものとは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブは今日までイスラエルのうちに住んでいる。これはヨシュアがエリコを探らせるためにつかわした使者たちをかくまったためである。
ヨシュアは、その時、人々に誓いを立てて言った、「おおよそ立って、このエリコの町を再建する人は、主の前にのろわれるであろう。その礎をすえる人は長子を失い、その門を建てる人は末の子を失うであろう」。
(引用終了)
ヨシュアがエリコの都市の攻略する際、神がヨシュアに手を貸していることが分かる。
もちろん、他の場所でも神はヨシュアに手を貸している。
これらの助けなくしてカナンの攻略はならなかったであろう。
このように、エジプトから脱出したイスラエルの民は神の手助けその他によりカナンを手に入れた。
「手に入れた」際に、異教徒たる先住民を虐殺してまわったことは既に述べた通りである。
なお、本書で一部しか書かれていない「ヨシュア記によって滅ぼされた都市」を全部掲げると次のようになる(以下、『ヨシュア記』の12章に記載のある滅ぼされた三十一の王を列挙)。
エリコ、アイ、エルサレム、ヘブロン、ヤルムテ、ラキシ、エグロン、ゲゼル、デビル、ゲデル、ホルマ、アラデ、リブナ、アドラム、マッケダ、ベテル、タップア、ヘペル、アペク、シャロン、マドン、ハゾル、シムロン、メロン、アクサフ、タアナク、メギド、 ケデシ、カルメルのヨクネアム、ドル、ゴイイム、テルザ
以上の旧約聖書の記載から旧約聖書における神の判断について何が言えるか。
言えることは次のとおりである。
「異教徒は人ではない」
「異教徒の虐殺は正義なり」
そして、キリスト教における神とユダヤ教における神は同一である。
また、イエス・キリストは異教徒に対する博愛まで説いているわけではない。
この点、「異教徒に対して信仰を強制するな」と啓示したアッラーとは異なる。
したがって、「隣人とは同じ信仰を持つ人に限る」という結論になる。
以上より、異教徒を人と扱わず、何をしようが宗教上の問題はない、ということになる。
新大陸における先住民に対する対応、黒人奴隷に対する対応もこの延長線上にある。
この点、ユダヤ教の神、つまり、「旧約聖書の神」は、キリスト教の神、つまり、「新約聖書の神」と直接関連しないのではないか、同様に判断していいのか、という疑問はないではない。
確かに、規範重視のユダヤ教から信仰重視のキリスト教になることで、契約の内容は変更された。
しかし、奉じる神に違いはない。
ならば、契約内容の変化とともに神の性格が変わったと考えることはできないだろう。
よって、具体的な啓示もなく神の異教徒に対する態度が変わったと考えることは難しいことになる。
ここで本書では、パレスチナ問題について少し触れている。
そして、旧約聖書(『ヨシュア記』)を通じて、現代のパレスチナ問題をみてみると、パレスチナ問題が極めて根深い問題であることを指摘している。
本書には記載がないが、この辺の事情を確認する。
なお、その際には次の本を参考にした。
19世紀末、民族離散から約二千年、ロシアやヨーロッパで迫害されていたユダヤ人たちは現状の迫害を逃れるため、ユダヤ人国家の建設を考えるようになる。
そして、ユダヤ人の富豪らはパレスチナの土地を所有する地主から土地を買い上げ、合法的にパレスチナへの入植を開始、浸透をはかる。
というのも、パレスチナの土地を持っていたのはエジプトその他の大都市に住む不在地主だったことから、パレスチナの土地の購入が不可能ではなかったからである。
もっとも、入植したユダヤ人が民族独自の文化に基づく社会を作ろうとし、原住民との融和をはからなかったことが、既に住んでいた人たちに不安を抱かせることになる。
その後、二回の世界大戦や列強(特にイギリス)の思惑その他もあり、アラブとユダヤ人の対立が加速する。
その結果、イスラエル建国とパレスチナ問題、幾たびもの中東戦争を引き起こすことになる。
さて、この問題、解決が容易ではない。
というのも、パレスチナ人・アラブ人から見れば、イスラエル人は旧約聖書のような行為をやるのではないか、だから信用できない、ということになる。
これに対して、イスラエル人も「旧約聖書は過去のことだ。現代とは関係ない」と言うこともできない。
言ったら最後、現代のイスラエル建国の大義も吹っ飛んでしまうからである。
こうやってみると、解決は極めて困難だと思わされる。
以上、本節の3分の1についてみてきた。
そういえば、和訳版のクルアーンは以前目を通したが、旧約聖書や新約聖書は見ていない。
一度、この辺りも見てみるべきなのかもしれない。
次回は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が奉じる神(ヤハウェ、イエス・キリスト、アッラー)について古代ユダヤ教をひもときながら見ていくことにする。